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極私的競馬小史~馬券を買うだけでは飽き足らず買ってしまったものは~

それは、ズバリ馬だ。
おまけに3頭もだ。
えっ?まだ学生の分際だろ?

実は、いわゆる‘一口馬主’だ。
友人のお陰で、馬主席に時々出入りしてたせいなのか、キラキラと光輝くサラブレッドの美しさに
魅了されたのか、何れ経済的に成功して馬主になれるような人生を夢見たのか・・・。

塾講師と家庭教師のバイト収入は、その後、卒業して貰った都銀の初任給より多かった。

サラブレッドレーシングクラブというところだった。
当時、1口5万円でやっていたクラブもあったが(シチー?)、この新興のクラブでは3頭を10万円で
参加できる点が売りだった。
3頭居る事で、確かにリスクを分散できるが、その分会員数も多く、総口数は530口もあった筈だ。

3頭とも1976年生まれ、カツラノハイセイコ、ビンゴガルー、アグネスレディー等と同期だ。

・ザエステイト(牡)父:ミンスキー
・レーシングサリー(牝)父:イエローゴッド
・レーシングウィン(牡)父:ハイアット

最初にデビューしたのは、ザエステイトで1978年秋の新馬戦。
中山競馬場の芝の1200メートルだったと思う。

いつもの競馬エイトを買って唖然とした。◎○がグリグリなのだ。
予想を見る限りでは、明らかに一番人気。
前日は、新松戸のマンションを購入した兄貴のところへ泊まることになった。
枕が替わったせいもあったのか、興奮して眠れないのだ。
人気を裏切らず走ってくれるだろうか・・・。

レース当日、パドックで我が愛馬に初めて対面したが、それからやや心境は変わっていった。
何故か‘勝ってくれ’という気持ちより‘無事に走ってくれ’の気持ちが急速に高まった。

単勝1番人気、オッズはなんと1.2倍。
結果はゴール前に指されての2着。
2週間後に同開催の新馬戦に出走、またまた、1番人気。
結果、見事に1着、単勝150円、連にも2番人気を連れてきて3倍。
勿論、取って負けだった。
新馬勝ちはエリートへの第一歩だ。
翌開催には、特別レースに参戦。
「新馬、特別を連勝したらエリート中のエリート、クラッシックだって狙えるぞ」という友人の声に
期待も高まったが、結果は人気も裏切る7着。
レース内容は惨敗に近いイメージだった。

レーシングサリーの初戦は東京競馬場、当然のことながら友人達と一緒に観に行った。
で、それはパドックでの出来事だった。
目の前をレーシングサリーが通った時に、私は例の歌舞伎の掛け声の如く大声で
‘サリー’と叫んだのである。
すると、ゆっくりと歩いていたサリーが突然立ち止まり、ゆっくりと私の方に顔を向けたのだ。
‘おぉおぉお、俺と目線があったぞ’
興奮する私に、何故か友達はシラッー。(嫉妬していたのかも)
人気も余りなかったが、結果も着外。

その後、福島開催で2回走り、通算3戦目で初勝利を飾った。
レース実況はラジオで聴くことができたが、当時は東京では馬券は買えなかった。
ただ残念ながら、結局、調教中に故障してしまいそれっきり。
しかし、牝馬の強みで繁殖に入った。

もう1頭のレーシングウインは結局発走することが出来なかった。

それでも、3頭のうち2頭が勝ちあがったのは凄い事だと人は言う。

その後、銀行に就職し、独身寮に入るとサラブレッドレーシングクラブなる怪しげな青い封筒が、
寮の管理人の目に留まり、結局退会することになった。

競馬という響きが、市民権を得ず、ましてやお堅い筈である銀行員にとっては決して近づいては
いけないものとするのが‘常識’の時代だった。

ところで、この一口馬主の話をすると、必ず喰らった質問がある。

‘トータルでは儲かったの、損したの?’

それに対する私の決め台詞も決まっていた。
そうだ、あの寺山修司が馬券の収支を訊かれると答えていたあの言葉だ。

‘あなたは人生をトータルで考えるのですか’



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makola

Author:makola
ペンをパンにかえることを夢見た青年は、電話を手にした相場師に・・・
在る時、相場師20年のストレスで心筋梗塞を発症、死の淵をさ迷う。
以来穢土を離れ厭離庵に棲む。

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