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世界禁煙デー~あなたが好きだから‘嫌煙’の仲~ (18)

debateというとdiscussに較べて、より攻撃的なニュアンスがある。
実際、debateの語源は古期フランス語の‘戦う’という意味だそうだ。
ナリポンはディベイト好きだ。
テーマが喫煙なら否応無く熱くなりそうだ。
ただ5年前と今では立場がまったく違う。

恐らく、私の人生で最大の宗旨替えは喫煙に関してかも知れない。
他のことは、左に振れていたものが、中立かやや右といった程度なのに、喫煙に関しては
思いっきり左から極端な右に振れた感じだ。

18歳から吸い始めて、45歳で急性心筋梗塞を発症するまでの間、ひたすらに赤いラーク
吸い続けた。
初めは、1日1箱程度だったが、30歳過ぎからは50~60本が平気になっていた。
じっとモニターを睨みながら、持ってるポジションに振り回されるディーラーという職業柄の
せいもあっただろう。

飛行機のチェックインカウンターでは、
‘Smoking or Non-smoking?’と訊かれると‘Heavy smoking, please!’と答えて、
相手を笑わせて悦に入っていたものだ。

最も‘酷い話’は、最後にいたスペイン系の銀行で、ビルの持ち主の森ビルの要望もあり、
社内を全面禁煙にしようとした時だ。
禁煙化の流れは理解するが、狭くても喫煙スペースの確保をするように強硬にマネージメントに
要請した。
ある場所を確保してくれたが、結局、‘離席中に相場が動いたら大変だぞ’と、
プロフィットセンターらしい奢ったエゴを通し、ディーリングルームは喫煙可と認めさせた。
幸い、部屋は隔離されており、業務上の性格から部外者が入れないように
ドアロックが付けられていた。
部員の諒解を得る時、明らかに嫌煙の女性がひとりいることは承知していたが、
‘ボスの威力’で押し切った。

2000年2月、急性心筋梗塞に襲われる。
救急車の中で、救命士にたばこの本数を訊ねられたが、50本と答え呆れられた。
川を渡らず踏みとどまったが、以来たばこは1本も吸っていない。

同じ年の秋、父親が喉頭癌なのが判明。
手術で声帯ごと摘出するか放射線治療かの選択を迫られるが、結局うまい具合に後者が
ワークして、腫瘍を退治できた。
だが、その後今度は肺に悪性腫瘍が見つかり、昨年の6月に死去した。
父も50年以上喫煙を続け、本数も40本ペースだった。
癌の種類で、喫煙が寄与する割合は、喉頭癌,肺癌,咽頭癌の順に高いとされているが、
見事に‘術中’に嵌ったと言える。

こうして、2箱、3箱親子は煙を愛した手痛いしっぺ返しを喰らうのである。

私は、長生きして欲しい周りの人間で、喫煙習慣のある人達が私と同じ轍を踏まないように、
‘禁煙の勧め’を行ってきたし、今も行っている。

彼(女)等の最初の反応は、何故か決まって

‘あれだけスパスパやっていた、オマエに言われてもなぁ’

そりゃあ、逆だろ。
あれだけスパスパやってた俺だからこそ、あの俺が止めるくらいだから、
みんな真剣に禁煙を考えるべきだし、禁煙をすべきだろう。

防犯のノウハウを知るためには泥棒に訊くのがいちばん(←ちょっと違うか

結局過去5年間の‘布教活動’で、完全禁煙したのは2人だけ。
友達一人と妻だ。

息子は親2人分の‘煙害’にあった幼児体験のお陰で、絶対たばこは吸わないと言っている。

因みに、昨日亡くなった二子山親方も愛煙家だったとのこと。
口腔底癌も発病者の8割近くが喫煙者とする研究がある。
喫煙の他に飲酒も発症の原因になるそうだ。


あ~ぁ、日本も公共施設は勿論、レストランとかも全面禁煙にしている‘禁煙先進国’の
仲間入りを果たすのはいつのことだろう。




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A(エー)、久米宏はもうテレビで使えないのか~視聴率男の神通力は消えた~ (4)

テレビ屋にとって矢張り視聴率は、常に唯一にして至上の評価基準なのだろう。

ゲンダイの記事にこんなのを見つけた。

久米宏はもうテレビで使えない
●もはやこれまで?

 やっぱりやめときゃよかった――。

 久米宏(60)はこんな心境に違いない。1年ぶりの“テレビ復帰番組”として大々的にスタートした情報バラエティー「A」(日本テレビ・毎週日曜夜8時放送)が低視聴率にあえいでいるのだ。

 4月17日放送の第1回は9.3%(ビデオリサーチ調べ・関東地区)で、その後は8%台に低迷。

 5月15日放送分は10.3%と初めて2ケタを記録したが、22日放送分は5.7%まで急降下。これまで6回放映して、同時間帯の各局ランキングで4回も最下位の数字を記録している。“番外地”のテレビ東京のバラエティー番組にも負けているのだから日テレにとっては深刻だ。

「ゴールデン枠は視聴率が2ケタを切ったら大問題になる。『A』は久米を引っ張り出して鳴り物入りで始めた番組なのに、数字は2ケタどころかその半分ですからね。日テレでは、すでに出演者を代えずに企画を全面変更するリニューアル案が話し合われている。最悪の場合は打ち切りです」(民放ディレクター)

●潔く身を引くか…

「A」はアジア各国の家庭とスタジオをインターネットで結び、それぞれの生活習慣やお国事情を紹介する。当初、企画を考えた久米は「他の人ができないような番組をやりたい。既成概念にとらわれない、テレビにとっては自殺行為に近い番組になるかもしれない」と自信マンマンに語っていた。

 しかし、「A」では久米ならではの鋭いツッコミは鳴りを潜め、現場では「久米さんも老いたね」なんて声も聞こえる。久米の存在感がゼロだから仕方がない。

 久米は番組の制作発表会見で「テレビには面白い番組か面白くない番組かしかない。こりゃダメだと思ったら、すぐにやめたいと思う」と言っていた。こうなれば潔く自ら身を引くか。

「Nステ」のキャスターとして一時代を築いたのにすっかり晩節を汚してしまった。



私はこの番組を見たことはなかったが、昨夜は偶然にもフジの‘ジャンクSPORTS’が
K-1のためお休み。
で、初めて見た。

う~む、確かにつまらない。
現地からのネット映像も鮮明さを欠き内容ともどもチープだ。
もう見切りをつけようと思ったところで石原都知事が登場したので思い留まった。
台湾でのゴミの夜間回収方法について語っているが、矢張りつまらない。
石原相手に何か鋭いツッコミがあるわけでもないし、石原の口調も妙に大人しい。
そこで、自分の部屋に戻りあとは見ていない。

そしたら、奇しくも今日のゲンダイの記事である。
まあ、ゲンダイ特有のテーストと言えばそれまでだが、ゲンダイ好きの私は
ゲンダイの‘独りよがりな予測’が実はその後‘現実’になった例を幾つも知っている。

実際視聴率は低迷している。

視聴率( )内は関西

4/17 *9.3% (*8.5) 19:58-20:54 NTV (新)A
4/24 *8.7% (*5.8) 19:58-20:54 NTV A
5/1 *8.2% (*4.5) 19:58-20:54 NTV A
5/8 *8.8% (*6.5) 19:58-20:54 NTV A
5/15 10.3% (*7.2) 19:58-20:54 NTV A
5/22 *5.7% (*4.8) 20:08-21:04 NTV A
5/29 *8.3% 19:58-20:54 NTV A

面白いのは、前後のNTVとの関係でも見事な‘谷間’を作っていることだ。


4/17
15.8% 19:00-19:58 NTV ザ!鉄腕!DASH!!
*9.3% 19:58-20:54 NTV (新)A
16.6% 21:00-21:54 NTV 行列のできる法律相談所

4/24
19.2% 19:00-19:58 NTV ザ!鉄腕!DASH!!
*8.7% 19:58-20:54 NTV A
19.9% 21:00-21:54 NTV 行列のできる法律相談所

5/1
16.6% 19:00-19:58 NTV ザ!鉄腕!DASH!!
*8.2% 19:58-20:54 NTV A
19.8% 21:00-21:54 NTV 行列のできる法律相談所

5/8
18.5% 19:00-19:58 NTV ザ!鉄腕!DASH!!
*8.8% 19:58-20:54 NTV A
21.0% 21:00-21:54 NTV 行列のできる法律相談所

5/15
19.1% 19:00-19:58 NTV ザ!鉄腕!DASH!!
10.3% 19:58-20:54 NTV A
22.6% 21:00-21:54 NTV 行列のできる法律相談所

5/22
13.3% 18:30-20:08 NTV THE LIVE2005一球の緊張感「巨人×日本ハム」
*5.7% 20:08-21:04 NTV A
17.9% 21:10-22:04 NTV 行列のできる法律相談所

5/29
19.9% 19:00-19:58 NTV ザ!鉄腕!DASH!!
*8.3% 19:58-20:54 NTV A
18.8% 21:00-21:54 NTV 行列のできる法律相談所


久米宏の番組スタートにあたってのコメント

番組は、企画段階ではあくまで「机上の空論」です。
今回も、やはり始めてみないと、まだどうなるか良くわかりません。
半年か1年後に結果がどう出るか・・・とても楽しみです。


しっかり自覚してるじゃん。
いまは正に‘机上の空論’で空回りしているだけ・・・。
とても‘とても楽しみです’と言えるような状況ではない。
問題は半年後、1年後があるかどうかだな。

A(えー)企画だと思ったのに、視聴者の感想はA(あ~)、
数字をみてスポンサーはA(エー)


実は、シンガポール在住時代、現地で最も真っ当な寿司屋のカウンターで、
大変綺麗な女性と一緒の久米氏と同席になったことがある。
それとなく聞こえた会話から判断して、バリへ行く途中か帰りだったと思う。
アジアへの思いは強いのかも知れない。

Nステ時代も嫌いじゃなかったし、テレビをつけていればチャンネルを合わせていた。

そんな彼が、‘ミセリ’化している。
そういえば、ミセリも実は引退を決意していたところに、ジャイアンツからの誘いがあり、
日本での‘一儲け’を決意したという経緯があった筈だ。

かつての‘4番打者’を引っこ抜いてもそれが機能しないのは、このグループの体質か(笑)



極私的競馬小史~あえて競馬の市民権を考えてみる~ (2)

競馬は市民権を得たのか。

1977年、主婦と生活社が‘angle’(アングル)という情報誌を創刊した。
創刊直後、フリーライターを募集とあったので、‘ペンをパンにかえる’夢の一環として応募してみた。

試験会場には、若干名の採用に200名ぐらいの応募者がいたように思う。
私のような素人のみならず、いわゆるフリーランサーのライター或いはその卵も
多数応募していたらしい。(後でわかったことだが)
事前に提出した履歴書の他、当日の‘小論文’で採用が決まる。

試験官がその‘小論文’の問題を黒板に書いた。
「10万円を自由につかったデートコース(日帰り)」

うーむ、中々いい考えが浮かばずに、悩んだ。
なんとしても陳腐な事を書くのは避けたかったが、当時は美味い食べ物屋に知識など皆無だったし、10万使うという現実味が湧かなかった。

自分のわからない世界を背伸びして書くくらいなら、熟知しているものを書いた方がいい。
そこで思いついたのが、

‘競馬場de10万円’

枯葉を踏みしめながら並木道を歩き、赤レンガのレストランで食事をするのではなく、
ハズレ馬券を蹴散らしながら、赤鉛筆を手にしたオッサン達を横目に、牛丼を喰う。
男が競馬をやりながら自分をどうマネージするか、女はじっと観察すればいいし、
男は男で、当たり、ハズレで一喜一憂する女をみて、感情の保ち方を観察できる。
もし、競馬そのものを知らなくても、知らないものに対峙したときの対応能力を、
お互い観察すればいい。
無くしてもいい10万円をどう使うか、どう残すか。
歯の浮くような言葉を重ねても見えない貴重な‘真実’が見えるに違いない。


ってな感じで、なんとか時間内に纏めた。

どうせ、飛行機で札幌に行って味噌ラーメンを喰うとか書いた連中が多そうだったし、
そういう意味では、自分の切り口は新鮮かなとも思った。

逆な言い方をすれば、いまでこそデートで競馬場に行く事は、普通の事だが、当時は
とんでもない‘奇手’だったということにもなる。

それで、肝心の合否だが、本来結果は郵送される筈だったが電話が架かってきた。
正式な合格者ではないが、不合格者でもない。
取り敢えず、大学の学食の企画を考えているので、第1弾を私の大学でできないか、
とのことだった。

いかにも‘奇手’が奏功したような中途半端な結果だった。

結局、3回、ページ数にして約6ページの仕事をして、初めてペンで金を稼いだ。

いま、もし全くおなじ状況で、おなじ問題が与えられ、そのデートコースを競馬場にしたら、
なんとも陳腐な発想で補欠合格も無理だろう。

そういう意味では、あの30年近い昔に比べれば、確実に競馬は‘普通のこと’になった。
JRAのCMでも中居やさんまを起用している。

では、本当に市民権を得たのか。

私は、3度の転職を経験しているが、そのうちの2回は、既に話がまとまっており、
履歴書の提出は、極めて形式的なものだった。
だから、趣味の欄にはスキーの他に‘飲酒’‘競馬’‘詩作’と記入した。
勿論、遊び心もあったが、それが掛け値なしの自分だという主張もあった。
担当者は、何故か飲酒や競馬はスルーして、‘詩作’に反応して私の顔をじっとみた。
「あのぅ、詩は別に顔で書きませんから・・・」

だが、3度目の転職は3ヶ月近く悪戦苦闘。
ヘッドハンター通しの話が殆どだったが、中々決まらず結構落ち込んだ。
そんな状況下では、履歴書の趣味の欄に‘飲酒’や‘競馬’と書く勇気も根性も無かった。
相変わらず‘詩作’とは書いて、顔を‘凝視’されていたが(笑)

そういう意味では、履歴書の趣味欄に堂々とは書けない‘競馬’は真に市民権を得たと言えるのだろうか。

因みに私は、いまは競馬はやっていない。(PAT維持のために年2回位はやるが)
最後に大当たりをしたのは、あのサイレンススズカの悲劇の天皇賞秋だ。
オフサイドトラップもステイゴールドも大好きだったので、この2頭を軸に買ったら、なんと
この2頭で決まり、馬連は120倍の万馬券。
武豊騎乗のサイレンススズカの単勝は1.2倍だった筈だ。
穴狙いの人間としては消えて欲しい一番人気だったが、まさかあんな消え方をするとは
思ってもいなかったし、願ってもいなかった。


今日のダービー、その武豊が騎乗したディープインパクトが見事なレースっぷりで
単勝110円の人気に応えた。
馬券を買っていない人間でも十分に感動できる光景だった。

今日のあのようなレースを観て、なにか感動を覚えない人間がいる限り、競馬が市民権を得る事は
無理なのだろうか。
或いは、G1だけは既に市民権を得ているのだろうか。



極私的競馬小史~馬券を買うだけでは飽き足らず買ってしまったものは~

それは、ズバリ馬だ。
おまけに3頭もだ。
えっ?まだ学生の分際だろ?

実は、いわゆる‘一口馬主’だ。
友人のお陰で、馬主席に時々出入りしてたせいなのか、キラキラと光輝くサラブレッドの美しさに
魅了されたのか、何れ経済的に成功して馬主になれるような人生を夢見たのか・・・。

塾講師と家庭教師のバイト収入は、その後、卒業して貰った都銀の初任給より多かった。

サラブレッドレーシングクラブというところだった。
当時、1口5万円でやっていたクラブもあったが(シチー?)、この新興のクラブでは3頭を10万円で
参加できる点が売りだった。
3頭居る事で、確かにリスクを分散できるが、その分会員数も多く、総口数は530口もあった筈だ。

3頭とも1976年生まれ、カツラノハイセイコ、ビンゴガルー、アグネスレディー等と同期だ。

・ザエステイト(牡)父:ミンスキー
・レーシングサリー(牝)父:イエローゴッド
・レーシングウィン(牡)父:ハイアット

最初にデビューしたのは、ザエステイトで1978年秋の新馬戦。
中山競馬場の芝の1200メートルだったと思う。

いつもの競馬エイトを買って唖然とした。◎○がグリグリなのだ。
予想を見る限りでは、明らかに一番人気。
前日は、新松戸のマンションを購入した兄貴のところへ泊まることになった。
枕が替わったせいもあったのか、興奮して眠れないのだ。
人気を裏切らず走ってくれるだろうか・・・。

レース当日、パドックで我が愛馬に初めて対面したが、それからやや心境は変わっていった。
何故か‘勝ってくれ’という気持ちより‘無事に走ってくれ’の気持ちが急速に高まった。

単勝1番人気、オッズはなんと1.2倍。
結果はゴール前に指されての2着。
2週間後に同開催の新馬戦に出走、またまた、1番人気。
結果、見事に1着、単勝150円、連にも2番人気を連れてきて3倍。
勿論、取って負けだった。
新馬勝ちはエリートへの第一歩だ。
翌開催には、特別レースに参戦。
「新馬、特別を連勝したらエリート中のエリート、クラッシックだって狙えるぞ」という友人の声に
期待も高まったが、結果は人気も裏切る7着。
レース内容は惨敗に近いイメージだった。

レーシングサリーの初戦は東京競馬場、当然のことながら友人達と一緒に観に行った。
で、それはパドックでの出来事だった。
目の前をレーシングサリーが通った時に、私は例の歌舞伎の掛け声の如く大声で
‘サリー’と叫んだのである。
すると、ゆっくりと歩いていたサリーが突然立ち止まり、ゆっくりと私の方に顔を向けたのだ。
‘おぉおぉお、俺と目線があったぞ’
興奮する私に、何故か友達はシラッー。(嫉妬していたのかも)
人気も余りなかったが、結果も着外。

その後、福島開催で2回走り、通算3戦目で初勝利を飾った。
レース実況はラジオで聴くことができたが、当時は東京では馬券は買えなかった。
ただ残念ながら、結局、調教中に故障してしまいそれっきり。
しかし、牝馬の強みで繁殖に入った。

もう1頭のレーシングウインは結局発走することが出来なかった。

それでも、3頭のうち2頭が勝ちあがったのは凄い事だと人は言う。

その後、銀行に就職し、独身寮に入るとサラブレッドレーシングクラブなる怪しげな青い封筒が、
寮の管理人の目に留まり、結局退会することになった。

競馬という響きが、市民権を得ず、ましてやお堅い筈である銀行員にとっては決して近づいては
いけないものとするのが‘常識’の時代だった。

ところで、この一口馬主の話をすると、必ず喰らった質問がある。

‘トータルでは儲かったの、損したの?’

それに対する私の決め台詞も決まっていた。
そうだ、あの寺山修司が馬券の収支を訊かれると答えていたあの言葉だ。

‘あなたは人生をトータルで考えるのですか’



極私的競馬小史~あのTTGの有馬記念動画を発見~ (8)

TTGについて何かを語っている人々は多い。
だが当時の私はそれほど熱くはなっていなかったと思う。

トウショウボーイのような、実力も人気も兼ね備えた馬は意外に燃えない。
レースっぷりも意外性がなく、好位置につけての抜き出しは‘優等生臭’が漂った。
馬券で時にはズッコケて思わぬ波乱を呼ぶことも、15戦13連体だからない。
まあ、菊花賞では3着で8千円馬券になったが・・・。
現役引退も早過ぎる。
おかげで見事にこの血を繋げる、まさにブラッドスポーツの使命は果たすのだが・・・。


そういう観点からみれば、グリーングラスは面白い。
ぎりぎり抽選で?出走できた菊花賞、12番人気でインコースを突いて見事優勝。
それでもフロック視する向きが多く、TTと並べて3強と呼ばれるまでには時間がかかった。
馬券的な妙味も多かった。

テンポイント、そもそも関西馬の分、東の人間にはひとつ距離感があった。
その距離感を埋めてくれたのは、個人的には、当時関西テレビでレース実況をしていた杉本清だ。
最近は江川とおちゃらけているが、当時の彼の実況はまさに出色であった。
本来、ニュートラルであるべき立場でありながら、テンポイントへの思い入れは露骨で、
逆にそれが、幾多の名台詞を生んだ。

1976年 菊花賞

さぁテンポイント先頭だ、テンポイントだ、テンポイントだ、テンポイントだ。それゆけテンポイントムチなどいらぬ押せ!テンポイント先頭だ、テンポイント先頭!内からグリーングラス、内からグリーングラス、テンポイントかグリーングラス、グリーングラスが先頭だ。グリーングラス、グリーングラス1着、テンポイントは2着・・・・
(グリーングラスが先頭にたっても、気付かずテンポイントを連呼)

1977年 天皇賞(春)

テンポイント先頭だ、テンポイント先頭だ、今日は外の方が怖いぞ!しかしテンポイント、これが夢に見た栄光のゴールだ!テンポイント1着!テンポイント1着!
(菊花賞で内をつかれたトラウマが残っている)

1977年 有馬記念

先頭はテンポイント、テンポイントだ!テンポイントだ!テンポイントっ!!・・・・・中山の直線を、中山の直線を流星が走りました・・・・
(フジテレビの実況は盛山アナ、これは杉本ヴァージョン)

1977年 日経新春杯

あっとテンポイントちょっとおかしいぞ。あっとテンポイントおかしい、おかしいおかしい、後退した。テンポイントが後退した。鹿戸騎手がちょっと後ろを見ている。これはどうしたことか、これはどうしたことか。故障か?故障か?あっと故障か?テンポイントは故障か?これは故障か?テンポイントは競争を中止した感じ、中止した感じ。故障か?故障か?テンポイント、これはエライ事、これはエライ事になりました。テンポイントは競争を中止しました。エライ事です・・・(中略)
しかしテンポイントは故障だ、鹿戸騎手がもう馬から降りている。テンポイントは故障だ、テンポイントは故障だ。なんとしても無事でと、なんとしても無事でと願っていた、願っていたお客さんの気持ち・・・も・・・通じません。なんともこれはまた、テンポイント故障だ、なんとも言葉がありません・・・。エライことになりました、これはエライ事になりました。
(もう杉本氏も涙声、テレビ観戦の私も泣いてしまった、今日読み返してもグスン)



上記の実況はすべて有名だが、個人的に一番気に入っているのは、
1976年、骨折休養明け、菊花賞のへの試走として出馬した京都大章典での
‘テンポイントは3着、テンポイントは3着。今日はこれで充分だ。’
テンポイントが無事にゴールをしたのを確認してから、1着、2着の馬名を告げたような気がする。

TTGといえば、1977年の有馬記念が語り草だ。
我々も、四谷3丁目にあったS君の家に集合してテレビ観戦。
S君はT-Tの連複1-3を1点で2万円勝負。
他の者は、グリーングラスやプレストウコウを絡めての遊び馬券。

明らかに買うよりは観るレースだった。

最後の直線で一瞬グリーングラスが、いいところを見せるが結局はT-T決着で、240円。
終ってみればT-Tで2倍以上つくんだったら・・・と思った人もいたかもしれない。
その晩はS君が勝ち分を全部使っての祝勝会になった。

ところで、ところで、私の駄文につきあってくれた皆様に朗報が・・・

あのTTGの有馬記念の動画を発見。
本来は昨年末で掲載が終わりだったようだが、なんとキャッシュが残っていて観られます。
http://66.102.7.104/search?q=cache:BSN5tO6SXj8J:www.jra.go.jp/50th/html/gjpro/09.html+%E3%83%86%E3%83%B3%E3%83%9D%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%88&hl=ja




極私的競馬小史~競馬場を歌舞伎座にしてしまう青年?~ (2)

競馬場に足に運ぶのは、場外で馬券を買って家でのテレビ観戦に比べて色々なメリットがあった。

勿論、生で迫力のあるレースを観戦できることが一番だ。
パドックや返し馬を見てから、或いは最新オッズを確認した上で馬券を購入できるし、
当時は8枠制の連複だったから(同じ枠の馬が取り消しても返還馬券にならず)ぎりぎりの
取り消しにも対応できた。

資金面で言えば、的中レースの資金を再投資する事ができる。

まあ、これらのメリットは誰でも指摘していた事であるが、私ならではの楽しみ方があった。

それは、掛け声。
ゴール前の直線で、自分の買った馬が馬券に絡みそうなタイミングで、掛け声を掛けるのである。
そう、歌舞伎で屋号を叫ぶのと似ている。
「澤瀉屋(おもだかや)!」「成駒屋!」

その要領で、ビシッと決まった時の気分は最高だ。
逆に、ゴール前の直線で懸命に粘っているが、もう足色が鈍っている馬を大声で叫んでしまい
あっさりかわされてしまった時は、バツが悪い。
まるで、駆け込み乗車をしようとして、目の前でドアが閉まってしまった後と一緒(笑)

ゴール前の動きを注視して、ここぞというタイミングで声を発する、飽くまでも駆けている馬が
主体である。
ただ、何回かはナリポンの声のお陰で、その馬が実力以上の力を発揮したと思えるような
こともあった。(←と勝手に思い込んでいる)

TTGの同期にカミノリュウオーという馬がいた、ダービーにも出走し6着、7着のテンポイントより
上位だった。
この馬、相手が強いメンバーでも掲示板に載る(5着以内)ことが多いので、メンバーが手薄に
なると直ぐに1,2番人気にされる。それでも何故か、3~5着に沈むのである。
大崩はしないから、いつも印はつく。
その日も東京競馬場にいっていたがメインレースにそのカミノリュウオーが出走。
ただ、流石に4~5回?連を外していたのが嫌気されたのか、余り人気がなかった。
私の嫌いなタイプの馬だったが、その日は馬券的に妙味を感じたので勝負。

ゴール前100メートル、相変わらず5番あたりでもがいている。
その時だった、地声の大きさでは定評のあるナリポンの一声

カミノリュウオ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

その声と同時に、馬がスルスルと伸びてきた。
ひょっとすると2着があるかもと思ったが、ゴール直前でなんと先頭へ・・・1着でゴール。
(おいおい、俺は連複だから別に2着でいいんだが・・・)

それにしてもなんとも絶妙の掛け声だった。
多分、買っていたのは精々特券1枚だろうが、声の迫力だけなら10万円分(笑)
押さえで的中させた友人も
「あのジリ脚があの脚を使えたのは、おまえの一声のせいだ」とマジ顔。

掛け声で、もう1頭思い出に残っているはメイジソレントという馬だ。
その日も府中、午前中の未勝利戦だったと思う。
例の馬主の息子のS君と彼の学友のT君が一緒だった。
このふたりが、爆弾と称して2倍台の馬券を1点買いしようとしていた。
彼等にいわせれば午前中で最も鉄板なレース、3千円か5千円かを打ち込んでいた。

私は彼等につきあうほどの度胸も軍資金も無かったので、お気に入り競馬エイトの戸田の
ぽっつん◎のメイジソレントから、1,2番人気へ2点の400円投資。
大勝負をする覚悟を決めていた彼等は貧乏人を見下げるように‘ふ~ん’の表情。

その日は、初めて第4コーナーの指定席で観戦していた。

レースが始まり、馬たちが4角にさしかかった時、メイジソレントは2着に10馬身位の差を
つけて先頭。
ここで、ナリポンが叫ぶ。

メイジソレント~~~~~~~~~いけ~~~~~~~~!

‘帰れソレントへ’というイタリア民謡があるが‘ゆけ~ソレント’だ。
ところが、普段観慣れていない4角から観ていると、まるで遠近感が掴めない。
長い直線、どうせ、捕まっただろうなと思っていたら、双眼鏡で覗いていたS君が『多分残った』

結果、2番人気と絡んで、80倍馬券。
「やったーーー」と思ったが、1点勝負をしたふたりのことが頭をよぎり喜びを噛み潰していた。

すると、なんだ、ありゃりゃ・・・
あのふたりも満面の笑みではないか。
「いやぁ、戸田の印が気になっておさえたんだよ。」

なんのことは無い、ふたりとも的中させていたのである。
しかも、400円(笑)

以上、私の掛け声の成功例を2つあげたが、勿論失敗例は数え切れない。
それでも、競馬場で実際に馬に向かって大声を出すのは、ひょっとしたら声が届くかも
しれないからいい。

テレビの前で、抜け目の馬が大外から伸びてきて小声で
‘来るな~~~~~’と呟いて、当然のように来ちゃうことに較べればね(笑)

しかし、今こうして何千円の勝負を‘大勝負’と書いてることに違和感を覚えながらも、逆に
なんとも言えない懐かしさが込み上げてきた。




極私的競馬小史~馬主席からみた感動のターフ~ (4)

昨日書いたが、あの一回の馬券購入で終っていたら、一生の‘競馬の収支’はプラスの
ままだった。
だが、あれから多分ほぼ2年後、様相は変わる、1976年のことだ。
大学生の身分になり、仕送りは相変わらず多くはなかったが、塾講師や家庭教師での
バイト収入で、財布の中も随分と豊かになっていた。
学生ではあったが、年齢も20歳を超えていた。
(今は学生でも20歳以上は馬券をかえるみたいだね。)

でも、最大の理由は、初めて競馬場に行ってみたことにある。
中学以来の友人のS君に誘われて、東京競馬場に行ったのだ。

なんのレースの日かは忘れたが、緑のターフの美しさが輝いていた。
200円の入場券で、ほぼ30~40分置きにレースという10個以上のドラマが見られる。
レースによって登場する馬たちの格が違うし、舞台も芝やダートと違うし、走る距離も違う。
障害物を克服するハードなレースもある。
今はなくなったアラブのレースもあった。

パドックにいくと間近で、馬を見ることができる。
実際に見る馬は、思っていたよりずっと大きく、太陽光を浴びてキラキラと光っている。

初めて競馬場にいったその日の、馬券収支は記憶に無い。
恐らく、数千円の負けだったのだろう。

ただ、負けた事より、競馬場で見る競馬の魅力に圧倒された。
アパートの14型テレビで観る競馬とは全く違うものだった。

で、ある時、S君からお誘いがあった。
実は、S君のオヤジさんが中央競馬の馬主で、週末に上京するとのこと。
そこで、家族章というのがあって、馬主本人の他にふたり、馬主席に入れるが行かないか、
との誘い。
勿論二つ返事でYES。

実際馬主席は違う空気だった。
初めて、ビジネスクラスを利用する人間みたいに、やや圧倒されながらも、気分は上々。
窓口も勿論、専用。ただ、200円券で3点買いするのは逆に勇気がいる(笑)

実際、カバンに現金を大量に詰め込み、何百万単位で自分の馬の単勝を買う御仁も見かけた。
すぐ横には、テレビの実況席があり、人気競馬評論家の顔も見えた。

しかし、どこにどんな有名人がいようと、飽くまでも、鮮やかな緑のターフとそこを疾走する
馬たちが主役。

ナリポンはこうして、1976年、奇しくも史上最強とも言われる3強の
TTG(トウショウボーイ、テンポイント、グリーングラス)が揃った年に、競馬に魅了されて
しまうのである。
さて、どう魅了されたか、どんなエピソードがあったか、それはまた別のお話
(王様のレストランの森本レオ調で・・・)(←昨日と同じじゃん)



極私的競馬小史~浪人生がいきなり的中~

今週は所謂ダービーウィークだ。
ダービーといえば、年末の有馬記念と並んで、普段競馬を殆どやらない人でも馬券を買っちゃう
大レース。

そこで、ナリポンの競馬歴を書いてみようと思うが、実はこの‘歴史’は余りにも膨大で、
とても1回の記事では無理。
何度になるかわからないが、ぼちぼち書いていきたいと思う。

初めて、馬券を買ったのは上京して直ぐの浪人生の時だ。(←いけないんだぞ~)
土曜の昼、仕事を終えた叔父と待ち合わせ、その足で後楽園の場外馬券売り場に行った。
叔父が「おまえも、やってみるか?でも博打の金は自分持ちだぞ。」
スポーツ新聞を渡され、◎○△の印の説明を受けたが勿論チンプンカンプン。
結局、印の一杯ついているのを選んで、2-4と2-6のバラ券(200円)を買った。

その足で、新婚早々の叔父のアパートへ。
で、テレビで買ったメインレースを観戦。
「おぉおぉ、これってひょっとして・・・当たった?」
叔父が「なんだ、当たってるじゃん。でもつかないぞ。」と負け惜しみ発言。
叔母は「すごいじゃない、あんたは外れたの。まったくぅ、いくらつかったのよ。」と叔父を攻めた。

2-4で配当が800円くらいだったと思う。

後楽園は予備校への通学の途中駅だったので、翌週、早速当たり馬券を交換に行った。

初めて買った馬券が的中し、場外馬券場は‘通学定期’でカバーできる所に存在、
いかにも、嵌ってしまっても不思議はないところだが・・・。

流石に、
・浪人の身であったこと
・仕送りでギリギリの生活だったこと
・ギャンブルならパチンコの方が慣れていたこと
・法律で禁じられていたこと(←うそつけ~)

あと、自分がそれまで経験したビギナーズ・ラックの顛末のせいもあったかも知れない。

初めてボーリングをやった時、第1投目がなんとストライク、いきなりのガッツポーズに、
友人が‘それ練習ボール‘、結局その日、ゲームではストライク1個も出ず。

初めて宝くじを買った時、下一桁を1、3で指定して2枚購入。
当選発表で末等の当たりは1と3(当時は2個あった)。
当たり券に200円上乗せして、4枚買うも全部ハズレ。

あ、そうそう初めてやったアーチェリーも1発目が見事真ん中に命中。

だから、いきなり的中した馬券もそれっきりで、もう良いことなんておこりゃしないと考えていたのだ。


しかし、この時、ナリポンは何れ訪れる競馬との深いかかわりあいを知る由もなかった。
さてそれについては、また別のお話(王様のレストランの森本レオ調で・・・)



clutch hitter Hideki Matsui の醍醐味~シェイ・スタジアムで新型シェーを披露?~ (12)

波動アナリストのナリポン氏が5月15日付けレポートで指摘した、
‘宮里藍と松井秀喜の波動のシンクロ’が、サブウェイシリーズの第3戦で見事に立証され、
全米の関係者が驚嘆している。

一週間前にブッチギリで今季初Vを遂げた宮里藍だが、今度は最終ホールのバーディーで
プレイオフに持ち込み、その1ホール目を見事に制し、2週連続Vを達成した。

一方、松井秀喜は昨日まで7試合連続安打を記録し、一時0.235まで落ち込んだ打率も
0.265と3分も上昇、チームもラスト13試合を11勝2敗という驚異的な勝率で躍進している。

前出のナリポン氏がこう語る。

「今日のゲームは、ほぼ私の想定通りだった。相手のピッチャーはあのドン・ジマー爺を投げ飛ばした‘冷酷武道派’のペドロ、一方、ヤンキース側の先発メンバーは
シェフィールド、ジーター、ポサダが負傷欠場。謂わば、最終日トップに3打差で
スタートした藍ちゃんと同じだった。
実際、ファッキン・A-ロッドが今季7個目のタイムリーエラーをして結局2失点。
その後、3-1になり、重苦しい展開のままゲームが進んだが、私は確信していたね、松井が同点にしてくれることをね。

藍ちゃんが最終ホールでバーディーだったから、9回表に松井が打って同点、
プレイオフで優勝ってことは、延長にもつれ込んだところで再び松井のバッドで
勝ち越し。
まあ、それがベストナリオだったんだが、同点まではまさにビンゴ。
勝ち越しの一打は、バーニーだったが、実際はあの松井の激走とナイスな
スライディングで取ったような1点。
そういう意味では、私のシナリオはバッチリだった。
実は、お恥ずかしい話だが、第5打席の2アウト満塁では、冷静なアナリストとしての心を失い、グランドスラムを打つんじゃないかと、一瞬思っちゃいましたけどね、
ハッハッハ。」



試合後、興奮状態にあるニューヨークのヤンキースファンからは松井のクラッチ振りに賞賛の声が
止まなかった。

ある熱烈なファンは

「ヒデキはサイコだよ、ナンバーはマダマーダだが、クラッチシチュエーションでは、
ナニカヤッテクレル。それにクラベルト、エーロッドはノーユース。
もう試合がキマッテルトキニしかウタナイアルヨ。
一年分のエラーもシテイルシ。
ヒデキは、レフト、センター、ライト、ドコヤッテモジョーズアルヨ。」


と分析していた。

日本各地でも、宮里藍、松井秀喜の活躍に、多くのファンのみならず、
動物までもがスタンディングオベーションをしているのではないか
と思われる珍現象が起きている。

一時、千葉の動物園のレッサーパンダだけが、直立すると珍しがられていたが、ここにきて、
全国の多くのレッサーパンダが起立あるいは歩行することがわかった。
他に、ラッコが起立するとの情報もあり、動物学者がその関連について調査を開始した。


ところで、前出のナリポン氏は今後の見通しを次のように語っている。

「波動分析で、今後気をつけなくてはいけないことがふたつある。
ヤンキースは一時首位から9ゲーム差あったが、今は4.5差になった。
これってどこかと似てはいないか。
そうだ、日本のジャイアンツだ。
最高で10ゲーム差あったが、今は4.5まで縮んでいる。
ただ、この波動のシンクロはどちらが主体なのかははっきりしない。
どちらも、弱小チーム相手に勝ち星を重ねており、今後の展開が読みづらい。

もうひとつは、藍とさくらの関係が、松井とイチローに似ている点だ。
早々に初V決めたさくらが、その後上位に現れなくなってきている。
松井が絶不調のときも、得意の内野安打を確実に稼いでいたイチローが、
最近はマルチもなく、今日は5タコだった。
早計な結論は出せないが、この波動についても注視していかなければならない。」





極私的ピザ小史~Naripon Pizza~ (2)

妻のプチ家出で取り残された‘父子家庭’の今日の晩飯は宅配ピザ。
ピザーラの、モントレー&ゲッツのハーフ&ハーフのMサイズ。
個人的には、ピザよりはケンタを頼んで軟骨探しをする方がいいのだが、当地ではケンタが
デリバリーサーヴィスを行っていない。

で、今日はナリポンとピザの歴史を振り返ってみた。

初めてピザなるものを口にしたのは、多分高校生の時の冷凍ピザだと思う。
特に美味いとも不味いとも感じなかったような・・・。

ある女性の出現で、ピザは一躍キーワードになる。
中学・高校と同期だった彼女は、高2の時にAFSでアメリカに留学した。
帰国後、勉強に関して相談があると言われ、会うようになった。

最初の頃は、屋上でランチ(←きゃー、青春)だったのが、次第に学校帰りに茶店に行くとか
映画に行くとか、図書館に行くとか(←きゃー、うぶい)に・・・。

留学中の話で、よく彼女が口にしたのがピザの美味さ。
そうなると、男はまるで愛の証明はうまいピザ屋を探す事だと勘違いしてしまう。
今のようにネットで検索という訳にもいかず苦労したが、ピザ専門店は1軒しかなかった。
他に、茶店で2軒、ホテル系列のレストランで1軒って感じだったと思う。

我々は次々に、ピザ制覇に向かったが、今思えばすべて冷凍ピザだな。
ピザを頼む時の彼女は飲み物を‘コーク’と頼む、当時はコカコーラかコーラと言う言い方が一般的
だったから、注文を受けた人間が戸惑う。
今思えば、単に嫌味な女という感じもするが、何せ恋に落ちている男からみると‘コーク’と言う響き
までが美しく感じてしまう。
綺麗な指先でピザのチーズを器用にクルクルと捌くのも堪らなかった。

上京した私は、物知りの友達がピザの元祖はここだ、と調べ上げてくれた
六本木の‘ニコラス・ピザハウス’へ行く。
窓の外の、高速道路に目をやりながら、‘あぁ、俺も花の東京にやってきたんだな’と実感した。

帰りには、レジのそばにあったニコラスの紙マッチを大量にポケットに入れた。

1年遅れて、東京にやってきた、例のピザ姫。
半年ぐらいは不定期ながらも会っていたが、決め手を欠く曖昧な恋は終わった。

一方で、ピザの食生活への浸透振りは実に鮮明だった。
喫茶店では、王道のスパゲティ・ナポリタン、スパゲティ・ミートソース、ピラフ、に並ぶ
存在になった。
夜のパブやコンパ(←確かこう言ってた筈)でも、チキンバスケット、フライドポテトを脅かす
存在になっていった。
ピザ食べ放題が売りのシェーキーズも出店ラッシュだった。

家でも1980円で買ったオーブントースターに冷凍ピザを打ち込んでいた。

ただ、今思うと、全部ミックスピザだった、ピザ=ミックスピザだったのだ。


1985年11月、プラザ合意以降の相場で銀行の収益に貢献した褒美に、シンガポールから
ニューヨーク&シカゴへ出張する機会をもらった。

ニューヨークでの滞在中、ずっとアテンドしてくれた同期のディーラーから聞いた話。

「そう言えばさ、この前ニューヨークに来た奴がピザ屋に行って、ワン・ピザ・プリーズって言ったら、店員がシュアとか言ったまでは良かったんだが、その後店員にトッピングはどうするか英語で聞かれて、そいつ意味がわかんねぇからイッツ・オケ、ドント・ウオリィ、とか返事したから最悪。
で、おまえ知ってる?直径40~50センチもあるチーズだけのプレインピザが出てきたんだぜ。そいつもそいつだけど、店も店だよな。」


エライ目にあったマヌケちゃんも、直径15~20センチのミックスピザで育った世代だったのか(笑)

ところで、昔は、ピザとくればタバスコだったが、一旦あの乾いたレッドペッパーの味を覚えると
断然乾いた奴の方がいい。
でも、これって近所で売ってる?
まだ、みつけたことないなぁ。
と、思って楽天で調べたら1店だけ取り扱いあり。


クラッシュド レッドペパー220g

クラッシュド レッドペパー220g



コントラクトブリッジ~妻がプチ家出~ (4)

4年前に、一家で穢土を離れることを決断する時に、妻にとっての最大の‘難敵’は、
お袋に先立たれた義理の父の面倒をみることより、大好きなコントラクトブリッジができなくなる事
だったかも知れない。

コントラクトブリッジってな~に?トランプを使うの?

コントラクトブリッジについて

世界に於けるカードゲームの普及ぶりは我々日本人にはちょっと想像もつかない程で、特にブリッジは室内ゲームのサッカーと言われるほどに盛んです。英国の文豪サマーセット、モームがブリッジを評して「人間の知恵が現在までに考え出した最も楽しめるかつ最も知的なゲーム」といっています。さて「ブリッジ」といいますと日本人は「セブンブリッジ」を連想しますが、世界の人達が夢中になっているのは「コントラクトブリッジ」のことです。ブリッジは「碁」や「将棋」とおなじ知的ゲームですが、「社交性」という他のゲームにはない特色があって、欧米では友人や隣近所との交際を深めるのに欠かせない程役だっています。

我が国では外交官、海軍士官、商社マン等主として海外生活の経験者の間で戦前から親しまれてきましたが、1953年に日本コントラクトブリッジ連盟(JCBL)が誕生しおおいに普及しました。会員には日本の文化人、著名人が多数名をつらねています。



彼女がブリッジを覚えたのは、シンガポールに住んでいた5年間だ。
海外の主要都市には日本人クラブという組織があるが、そこのソサエティでブリッジに出会い、
嵌っていったのだ。

なにしろ、学生時代から、我々野郎衆を相手に、徹夜麻雀に付き合っていた女だから。
最初は、くわえ煙草で、「ロン!高め!」と言いながら牌を倒されて友達たちもビビッていたが・・・。

シンガポールでは旦那は仕事でニューヨーク市場まで追いかけるから、ほぼ毎夜帰宅は
12時近い。
仕事じゃなければ、飲み会でやっぱり帰りは遅い。

おまけにノーキッドだから、もう遊び放題。
ゴルフに嵌るご婦人も多いが、元々怠け者だから、ブリッジと麻雀のテーブルゲームに専心。

帰国後は、さっそくブリッジ連盟に登録、先に帰国していた元シンガポール組の仲間をベースに
輪を広げていく。
四谷、六本木、五反田、大塚とかにブリッジセンターがあったが、なんだかんだで週4~5日
通う生活。

私に、
「いいねぇ、‘なにも’専業主婦は・・・、おまけに‘育児(意気地)無し’だし・・」
と皮肉られたのが気に入らなかったのか
そのうち、ディレクターといって、まあ雀荘のオバサンのようにゲームに参加せず全体のプレイを
仕切るバイトも始めた。
これが、時給ベースにすると中々の効率の良さ。

その後息子が生まれ、さすがに控えめになるが、幼稚園の年長以降からは、ジワジワと活動開始。
公式大会とかにも積極的に参加するようになった。

そんな中での穢土からの都落ち。
残念ながら当地にはブリッジクラブは存在しない。

Yahoo!のオン・ラインゲームで出来ると聞いて、パソコンを購入するも、どうも面白くないらしい。

そこで、連盟の人脈も通じて、地元テレビや新聞でブリッジの楽しさを紹介するとともに、
興味のある人を募集。
そうそう、ちょうどソルトレイクシティ―オリンピックの前だったが、ブリッジが公開競技として行われ、
将来冬季オリンピックの正式種目になる可能性を話題にしていた。

反応は鈍かったがそれでも10人弱のオバサン達が集合。
市の公共施設を使って、週一回ブリッジを楽しんでいる。

で、そんな彼女が年に2回、昔組んでいたパートナーと参加する公式大会があり、1泊2日で
‘遠征’するのだ。
昨年、父親が他界したので今後は機会が増えるかも知れない。

ところで、コントラクトブリッジは4人でプレイし、向かい合って座った人同士が味方になり、
2人一組で競い合うゲーム。
パートナーと向かい合うさまを、‘橋’に見立ててbridgeと呼ぶとの説もある。

心臓疾患で身体を動かすスポーツがいっさい出来ない私が、所謂マインドスポーツである
コントラクトブリッジを始めても不思議は無い。
でも、妻は妻で、もううんざりするくらい付き合わされている男をパートナーにして、
せっかくの自分の至福の時を台無しにするほど、愚かではない(笑)




ピアノマン狂想曲~トップニュースで伝える民放各社の‘異常’~ (10)

このネタで書くつもりはなかった。
自分らしい独自の切り口で書けそうな気がしないし、単に嘆かわしいと批判するだけでは、
書いていても、読んでいても、やや不毛な気がする。

私は大体毎日、朝8時頃に朝食をとり、一日の薬を取り分け、朝の分の10錠を服用する。
その間、テレビをつけ、ザッピングするのが日課だ。

フジの‘とくダネ!’もトップで扱う。
オズラ氏「なんで新しいことも無いのに、2日続けてトップなの?」
「結局、○○クンが英語でインタヴューできるのを証明しただけじゃないの?」

オズラさん、心配しないで!
‘あんたはズレていない’

でも、オズラさんほどの力があるなら、そんなエキュスクーズをしないで制作側を説得して
欲しかった。

テレ朝に替えたら、既にピアノマンは終えたらしく森進一の泣き顔。

で、普段あんまりみない日テレの‘ザ・情報ツウ’
やってる、やってる。
画面には、‘現地緊急生中継!!’の文字が躍る。

興奮気味の峰が、現地の日テレ駐在員?のオバサンに訊ねた。
「そちらでの報道はいかがですか?」

「ここ数日は静かですね。」

思いっきり梯子を外された峰はガックシ。

オバサンやるじゃん、本当はこんなネタで興奮しているスタジオを嘲笑っているんでしょ(笑)

ピアノマンの後はサル騒動だ。
阿部とかいうレポーターが、大昔の
‘♪~A地点から、B地点まで~♪~そーなんですよ、川崎さん~♪’
日テレDNAをしっかり継承した口調でサルを8時間追いかけた話を自慢げに語っている。

えっ、こいつ、確かJR西の時も、遺族を直撃してたよな。


昼は、1週間ぶりに外メシに出かけたので、みていない。

午後は、映画を1本観て、今日のブログネタに思いを巡らし、5時になってテレビをつけた。

日テレ系は、ローカル番組をやっているが、テレ朝、TBS,フジの3局はトップニュースが
ピアノマン。

特にテレ朝は、画面に‘緊急総力取材’と銘打ち、恐らく20分近くやっていたのではないか。

ピアノマンの外は、サル騒動に、直立レッサーパンダ。
ワイドショーならアリだが、一応報道番組のカテゴリーに属する時間帯で、よくやるね。
まあ、5時台はおちゃらけて、6時からマジの構成なんだろうけどね。

遥か南の島までおでかけの石原都知事も、名も無きピアノ弾きやサルに負けるとは思って
いなかっただろうな。

まあ、‘テレビなんてそんなもんよ’(←ほら、やっぱりつまんない結論になった)

そういえばチョッと前までは、なんか太った豚ちゃんを必死に追いかけてたモンな。

《追記》
因みに報ステでは、石原都知事、ピアノマン、レッサーパンダの順番でした。






はさむ文化、のせる文化~快感は同じ?~ (8)

ヤンキースの連勝が10で止まった。
ナリポンの5月10日のご託宣(12連勝)まであとふたつだったのに、残念。
おまけに今日のマリナーズ戦は、終始リードしていながら、エラーがらみでの敗戦。
10連勝の後の1敗なのに、松井が3安打打ったのに、まるで4連敗した時と同じくらい
悔しい気分になる。

ところで、突然ですがここで問題です。
MLB.TVの中で(恐らくニューヨークのテレビでも)、メッツのウィリー・ランドルフ監督と
ヤンキーズのジョー・トーリ監督のふたりが出演している、CMがあります。
さて、どこのCMでしょう。


正解は(←おいおい、もっとタメをつくれよ。)

SUBWAY

そう、日本にも地域限定で進出しているサンドイッチチェーンのSUBWAYのCM。

あさってから始まる、ヤンキースvs メッツの通称サブウェイ・シリーズに掛けている。
(←つーか、ベタすぎて)

リーグが違うとはいえ、対戦するチームの両監督が共演するのは中々面白い。

ところで、そのSUBWAYだが、私が穢土にいた頃、会社の側に店舗があった。
パンの種類、サイズ、はさむ物、トッピング、ソース等、余りの選択肢の多さに却って迷うので、
会社の女性に頼んでおまかせにしていた。


そこで思うのだが、SUBWAYはある意味、日本メシでいう丼モノ屋ではないかと・・・。

日本人は、基本はメシとオカズを別々に喰うが、メシにオカズをのっけて喰うと何かと美味くなる。
焼肉屋で頼んだ‘特上カルビ’がハズレの時は、メシにのっけて一緒に食べると許容範囲になる。
丼モノはそういう食べ方が‘公認’された食べ物ってことで・・・。

あっちの人達も同じ。
基本は料理を食べ、パンは千切って食べる。
皿に残ったソースをパンでぬぐって食べることはするが・・・。

機内食(朝食)でパンにナイフで切れ目を入れ、次から次へと器用に中へ‘ブツ’をはさみ、
実に満足そうに食べている光景を何度となく目にしたことがある。

色々な種類のサンドイッチは、そういう食べ方が‘公認’された食べ物ってことで・・・。

メシをかっこむのと、パンにがぶりつく快感は共通する。

いやぁ、今日の理論は、ちょっと強引過ぎるか?





永福町・大勝軒~なりぽんと年はタメ、30年来のマブダチ~ (10)

もはや、ラーメンブームではない。
〔boom=ハチの羽音〕
にわかに景気づいたり突然人気が出たりある事柄が急に盛んになったりすること。

ラーメン王として武内伸氏が登場するのが90年代初頭、それから2000年頃までは
ブームと呼んでも相応しいかもしれないが、それ以降はブームと呼ぶには定着しすぎている。

色々な店が凌ぎを削り、激しい競争を行い、個別の店の消長はあるが、ラーメンそのものは
確実に隆盛を維持している。

私が今日紹介する店は、ブームの中で生まれた店ではない。
創業は1955年、私が生まれた年と同じだ。

学生の時、友人が永福町に住んでいて、そいつのアパートは風呂付だったので時々泊りがけで
遊びに行った。
駅前にある、大勝軒にはいつも行列ができていて、否応無く気になる店だった。
いまでこそ、行列のできるラーメン屋は珍しくはないが、当時は余り無かった。

学生の強みで、行列の少ない時間帯を選んで行ってみた。
普通盛が確か330円かなんかで、大盛りが30円か50円増し。
食欲旺盛な年頃だったし、それだけの値段差ならばということで、大盛りを注文したが、店員に
「初めてなら先ず普通盛りの方が・・・」と言われ、渋々普通盛りにした。

出てきたらーめん(ここでは中華そば、或いは約しておそばと呼ぶ)は確かに量が凄い。
今では極めて一般的な、魚出汁も当時は珍しく、独特の臭いが鼻を攻める。
スープは熱々を通りこして、直ぐに舌を火傷してしまうほど、熱い。
麺を相当食べたつもりなのに、やっと平らになるだけ・・・。(当時は麺が350g?今は290g)
正直、色々な意味で苦痛だった。
猫舌の友人にはもはや‘拷問’と言ってもいい感じだった。

店を出た時は、もう二度と来ないだろうな、と思った。

それでも、定期的に彼のアパートに遊びに行く生活の中で、或る日、ふともう一度行こうと思い、
渋る彼を誘った。
どこか、チャレンジメニューに挑むといった趣だった。
1回目よりは、美味く感じたし、量の克服もなんとかできた。

そんな風な事を重ねているうちに、段々と虜になっていき、彼のアパートを訪ねる最大の理由付けが
永福町・大勝軒の中華そばという事になった。

その後、彼は別の大学の医学部を再受験し合格、東京を離れた。

それでも、店にはコンスタントに通った。

何度か、何人かの友達を連れていったが、‘初体験’で気にいる人間は少なく、否定的な感想を
聞かされるのも嫌気がさすので止めた。

そんな中、当時、付き合い始めた彼女だけは、何度となく連れて行かれるうちに嵌っていった。
最初の頃は、麺の一部を私が引き受けていたが(←男はこんなことで男気を証明したがる)、
段々とその量が減り、しまいにはひとりでやっつけられるようになった。

パブロフの犬ではないが、行列に並びながら魚出汁の香りを嗅ぎ、店内でさらに待たされる間に、
ズルズルと啜る音に刺激されると、条件反射的に‘瞬間胃拡張’になるのだ。

就職した後も、2ヶ月に3回位のペースで通っていた。

シンガポールに赴任してた5年間は勿論無理。
現地にあった、南天という和メシ屋の支那そばは結構いけたが、矢張り及ばない。
2年半経って、2週間のホームリーヴで帰国した時は、2度永福町に行った。

この店にはおみやげと称して、店と同じスープを冷凍させた商品がある。
店で食べた方が美味しいと思い、敬遠していたが、心臓をやってからは、あの行列に並ぶ
体力を失い、おみやげのお世話になる。

穢土を離れた今は、おみやげ専門だ。
先週末から、ヤンキースが西地区での試合になり、昼飯時が自ずと禁足。
それに合わせて、おみやげを発注した。

昔、果敢に食べた店での一人前(2玉)を、今は妻と二人で一玉ずつ食べる。

店で食べると1杯1050円、幾ら2玉とはいえ、この値段はなにかと物議をかもす。
おみやげは容器代がかかるので、1セット1100円。
それをふたりで食べるから1杯550円になるが・・・。

私にとっては、金額の多寡では計れない思いがこの中華そばにはある。
味的に言うならば、正直今の時代もっと美味いと感じるラーメンもたくさんある。
ただ、30年来、私の人生の山、谷を共にしてきたような‘味わい’を持ったラーメンはここだけだ。


そう言えば、文中にある‘付き合い始めた彼女’とは、なんのことはない妻だ。
彼女も、あのラーメンを30年近く食べる運命になるとは思わなかっただろう。




或る『神田日記』伝~松本清張氏と遭遇~ (4)

上京したナリポンは駿河台にある予備校に通っていた。
その日神保町の本屋に行き、その頃の誘惑のひとつに見事に負けて友人とパチンコ屋に入った。

台を選ぼうと店内を巡っていると、なんとあの松本清張氏がいるではないか。
殆ど小説など読まない理系の友人ですら、一見して氏だと分かった様子だった。
氏の両側の席は既に埋まっていたが、その隣の席は空いていたので、すかさず座った。
真横から見ると、当にあのドン・ガバチョ唇。
やはり特有の空気がそれほど華々しくはなく然し確実に流れていて、私はかなり興奮した。
程なく彼の玉は尽き、席を立った。
当時は席で玉を買うことなどできず、数箇所にしかない玉貸し機で玉を得る。
新しい玉を仕込んだ彼は元の台には戻らず私の視界から消えた。
慌てて追跡した。台を決めて座った彼は玉の入った箱から皿の部分に玉を入れようとした。
その時、手際が悪く数個の玉が皿からこぼれて床に散った。
すると、氏は懸命に身体をかがめて落とした玉を拾い、やや遠くに転がった玉も回収した。
確か玉は当時、1発3円だったと思う。

結局彼は玉を増やすことなく敗戦した。気持ち顔つきは不幸そうに見えた。
店を出ようとする彼を見て我々は手元にあった玉をポッケに入れ、尾行した。
尾行といってもただ彼の後を歩いてついていっただけだが、推理小説作家を尾行するというのは
妙な感覚だった。
数分後、彼は小さな古本屋に入ろうとしたが、立ち止まった直後くるりと振り向いて、
我々を睨みつけたのであった。
一瞬ビビッたが、同時にある種のコミュニケーションを取れたような興奮を感じた。

そんな‘事件’があった翌朝、新聞をみると所謂「所得番付」が発表されており彼が
作家部門で1位なのを知ったのである。
なんというタイミングの妙だろう。

こぼしたパチンコ玉を拾っていた姿や、結果すってやや不機嫌そうにしていた顔を思い出した。
『パチンコ屋の中では玉を増やして、ドル箱を足元に置いている人間が最強であり幸福である』
なんてつまらない人生観まで感じてしまっていた。
彼がどんなに所得があろうが、例えば10万円分の玉を買って箱を一杯にしても、
心は満たされないだろうな、と浪人生の私は妙に納得していた。

因みにその年の作家部門は
1.松本清張
2.司馬遼太郎
3.遠藤周作
4.五木寛之
5.小松左京
6.有吉佐和子
7.川上宗薫
8.石川達三
9.井上靖
10.北杜夫



中学時代は北杜夫をよく読んでいたし、その後は松本清張と石川達三を読み漁っていたなぁ。
松本清張の納税額が昭和48年で2億、49年で3億、それに対して、西村京太郎の1億5千万は
少ない。
これは税率が大いに影響していると思われる(75%⇒37%)


ところで、作家との遭遇の偶然は更に続く。
それから数日後、既に現役合格(私の志望校)を果たし梅ケ丘のマンション住まいの親友を
訪ねた。
浪人で4畳半共同トイレの私とは対極の環境にあったが仲が良かった。

その梅ケ丘の駅前で、今度は中村真一郎氏と出くわしたのだ。
娘さんなのか、或いはお孫さんなのか、それとも愛人なのか、極めて上品なお嬢さんと
腕を組んで歩いていた。
更に驚くべきことに、その時の私は氏の最新刊である『四季』を手にしていたのだ。
その必然性が何とも素敵だった。
新聞の書評を読んで衝動的に買った本だった。
それまでは顔は勿論、名前すら知らなかった作家だ。
結局彼の作品はその一冊しか読んでない。

あの数日間で遭った二人の作家。
その後の人生で色々な有名人に遭ったことがあるが、作家に遭った記憶は特段無い。



ボルカー!俺も男だ~グリーンスパン来年1月退任までの18年~ (6)

米国中央銀行のグリーンスパンFRB議長が来年の1月の任期満了で退任するようだ。

私が市場を離れてもうすぐ5年になるが、ディーラーにとってこのFRB議長という存在は最も
相場に影響力のある存在だった。

私がディーラーになりたての1982年当事は、ポール・ボルカー氏が議長を務めていた。
私が未熟なせいもあったが、このボルカーのコメントはいつもパズリングだった。

「アメリカ経済が、もし、うんちゃらかんちゃらにむかうという前提で言えばFRBは
かんちゃら、なんちゃらしないわけではなくはない。」

そんな内容がロイターやAP通信でニュースとしてフラッシュする。
勿論、英語だから益々わかんない。
ニュースのせいでドルが売られても、A型のナリポンは自分で納得しなければ参加できない。
ゆっくりとニュースを読み、専門家の解説や解釈が出てきて、やっと意味が分かった頃は、
ひと相場終っていた。
ボルカーはインフレファイターとして市場の信任も厚く、身体もでかく威風堂々とした。
彼が辞める噂は何度となく飛び交ったが、その度に必ず株式も債券も売られた。

ボルカーの時代はFRBの将来の金融政策を予測することは中々難解だった。
そこでFed watcherという専門に連銀の動きを観察するプロがいた。
当事、絶大なる人気を博し、市場参加者に影響力を持っていたのは、ソロモン・ブラザーズの
ヘンリー・カウフマンだった。
彼の分析、見通しは、今思えば、十分にインサイダー取引になるような影響力があった。

1987年、ボルカーは8年務めた議長を退任。
7月に就任するのが、アラン・グリーンスパンだ。

私は初めて、彼の写真を見たときに映画監督であり俳優でもあるウディ・アレンを思い出した。

野球で替わったところにボールが飛ぶというが、彼の場合はいきなり凄まじい‘悪球’
が飛んできた。
10月19日のブラックマンデーだ。
(因みにこの日は、ナリポンが最初の転職をした初日だった。)

ただ最初の試練を、彼は市場に潤沢な流動性を供給することをいち早く宣言し難局を乗り越えた。
初めての窮地でのファインプレイに次第に市場の信任を勝ち取っていく。

彼は、ボルカーと違って極めてわかりやすい言葉で話す。
金融政策も極めて柔軟だ。
当時の日銀は、一旦金利をいじったら、ある一定の期間逆の政策は発動しない不文律があるなど、
極めて硬直的だったし、発動のタイミングもいつも市場からせがまれ、追い込められた段階で
やるので、効果が十分ではなかった。

それに比べると、グリーンスパンのやり方は、何かの懸念材料があれば取り敢えず動いてみる。
そのうえで更に必要ならば、動く。
動き過ぎて逆に何らかの弊害が生じると直ぐに政策の転換を図る。
時には自分で判断がつかず迷っている場合はその心情を吐露することもあった。

彼の言葉で流行語にもなったのが、96年の12月に過熱した株式市場に対して発した
‘根拠なき熱狂’=Irrational Exuberanceだ。
市場では彼が株を仕込み忘れたので、この発言で下げさせて仕込むのではとの声もあったが(笑)

兎に角、ボルカー時代を経験した人間からみれば、彼は素直でわかりやすかった。
なにしろ、この私でも‘アメリカの金融政策からみた為替の展望’なる題目で講演を
数度したくらいだから・・・。
フェッドウッチャー達も失職していった。


そういえば、世界中のディーラーが年に一度どこかの都市に集まる世界フォレックス大会と
いうのがあるが(今もあるのかな)、そのヘルシンキ大会に出席した時の話。

宿泊していたホテルの朝食ビュッフェ、トレイを持って並んだら前にいたのがあの、
ヘンリー・カウンフマン氏、夫人と一緒にいた。

もう、なんか感激して思わず、Good morning, sir! 彼もMorning.
そうそうヤンキースの松井君が必ず第一打席で審判とキャッチャーに挨拶する感じ。

食べながらも、彼の姿をみながら、彼がボルカーの‘なんちゃらかんちゃら’を解説して
くれたんだなぁ、と感慨深いものがあった。

グリースパンもなんだかんだで18年、いまや大統領の次に力を持つと言われているが・・・。

ボルカー!俺も男だを見事に実現したね。


引退後は20何歳年下の再婚相手とゆっくり暮らすのかね。
それとも、民間に請われてどっかいくのかね、引く手数多だろうね。


宮里藍初Vでランキング1位、松井秀喜は大叩き?~宮里藍と松井秀喜の波長は同じ~ (4)

昨日のスポーツニュースで宮里藍が2位に6打差の首位に躍り出たのを知った時に、
私は妻にこう言った。
‘これで、明日は松井がホームランを打つ’

長年、ディーラーをやっていたせいで、ものごとの流れを‘波動’で見てしまう癖がある。
チャート分析で言えば、‘エリオット・ウエイブ’という理論が有名だし、実際の相場でも有効だ。
私が言っているのは、そういうものではなく、私が勝手に感じる‘波動’だ。

藍ちゃんは2月に、北田瑠衣とペアを組み、W杯で見事優勝。
その足で参加した、ANZレディースマスターズでは殆ど優勝しそうな勢いで、最後は逆転
されたものの堂々の2位。
帰国したときは、マスコミ陣が例によって大挙して押しかけ、藍ちゃんブームを盲目的に煽った。
ご当地沖縄での国内初戦のダイキンオーキッドレディスは、前年優勝の縁起の良い大会だったが
27位タイの実質惨敗。
その後、アメリカでのクラフト・ナビスコ選手権では、格の違いを見せ付けられた。

再び国内に戻るが勝てない。
フジサンケイレディスクラシックでは14オーバーの53位タイとまさに惨敗。
予め決めていたのか、突然決めたのかはわからないが翌週のカトキチは欠場する。

この休養が効いたのかサロンパスワールドレディスでは3打差の4位。
そして今週のヴァーナルレディースは、2位に8打差のぶっちぎりで今季初V。
おまけに、1位賞金が2160万と高額なため一気に賞金ランキングのトップに立った。

フジテレビの安藤優子が『藍ちゃんって、プレイしている時とってもハンサム』と言っていたが
全く同感。
プレイしていない時は、‘クロマニョン人’に見えてしまうのだが・・・(笑)

ところで、ヤンキースの松井秀喜もオープン戦は絶好調。
おいおい、早く開幕してくれよって感じだった。
実際開幕した直後も文句無しのスタートをきった。
現地の新聞もMVP候補の記事を掲載、私も興奮気味に日記(4月6日)
♪1日1本、2日で2本、シーズン終ればMVP♪~Godzilla~を書いている。

その後も、まあまあの成績を残していたが、次第に不調、絶不調に陥る。
チームも松井の不振だけでなく、投手陣が壊滅状態にあって借金8まで拡大。
それから、まあ相手に恵まれて7連勝、それでもまだ借金1。

う~む、借金は恐いね。ご利用は計画的にってか。

ところで、その松井の今日だが、6打席5打数4安打、2塁打がなんと3本。
第6打席は打った瞬間、イッターーーーーーーーーと思ったのだが。
TB7で打点が押し出しの1点というのは淋しいが、それでも打点29はリーグ6位だ。
打率も一挙に2分上昇した。(それでも0.255だがOrz)

そういう意味では(←どういう意味)、藍ちゃんと松井の調子の波動は酷似している。
今後はふたりとも上昇トレンド、好調期に突入だ。

そうか、待てよ、藍ちゃんが優勝したのは15日だから、
松井がホームランを打つのも、現地の15日、我らが明朝の試合だ、って解釈が正しいかも(笑)



日経新聞・春秋の真意は?ブロガーは死ね?~♪おいらはブロガー♪~ (6)

この1週間は、まさに激動だった。
コメントもトラックバックも数多く頂いたが、気になったのが5月6日の‘青い炎の日記’さんのTB、
‘ブログとマスコミ’だ。

ここに飛ぶと、冒頭に日経新聞の春秋(4月30日)の引用がある。

日記風の文章をネットに書き綴(つづ)る個人のホームページを「ブログ」という。ウェブとログ(記録)を組み合わせた造語だ。自分の情報を日々せっせと発信する“ブロガー”がここ1年ほどで増殖し、国内で200万人を超えたそうだ。

▼たしかに調べ物で検索すると個人サイトが大量に引っかかる。「さっき出張から戻った」とか「村上龍の新作を読んだ」とか、たわいない内容にがっかりすることも多い。名前や素性は明かさないが、それでもボクやワタシの話を聞いてほしい自称評論家やタレントがパソコン画面の向こう側にひしめいている。

▼有名になりたいのか。自分に酔っているのか。書き込みに精を出す40代の男性に聞くと答えは意外だった。「誰も読んでくれなくていい」。何者かが自分を見ているという状態をつくり出す。そこで体験や思いを言葉にすれば自らを律することができ、仕事や生活に励みも生まれるという。

▼同じ構図をエルサレムの「嘆きの壁」で見たことがある。ユダヤ教徒は体を揺すりながら壁の「向こう側」に延々と語りかけていた。宗教の違いはあっても、自己と、自己を見守る超越者を言語でつなぐ行為が「祈り」だろう。情報化時代の神はネットの闇にも宿る。人を煽(あお)るのではなく、声を聞くだけの神であってほしい。



‘増殖’だの‘ひしめく’と言う語感は、まるでブロガーが虫けらかばい菌のようだ。
筆者がネット空間にブロガーという虫けらどもが溢れるのを、文字通り‘苦虫’をかみつぶして
見ているのだろう。
検索すると、その虫けらどもの‘うんこ’にぶち当たって邪魔くさい、と言いたいのだろう。

紙を使った活字媒体である新聞の人間が、時代の先端であるネット空間に溢れるブロガーどもを、
必死になって追い払おうとしているのか。

もし紙媒体に身を置く筆者が、衰退の道が見えている新聞の将来性を憂慮し、
なんとか新興勢力の台頭を抑えようとしているなら、まだ可愛らしい。
数字は知らないが、日本は世界的にみても、新聞の普及率が高いだろう。
宅配システムが寄与している部分もあるだろう。
直ぐ、アメリカではという言い方は好きでは無いが、アメリカでは実際新聞離れは進んでいる。
無料新聞を配布しているところもある。
固定電話の加入率が激減し、携帯電話オンリーの生活が進行しているように、
宅配で新聞を購読する生活も変わっていくだろう。

嘆きの壁のくだりは、正直私の読解力では意味が分からない。
『ブロガーのような糞素人がネットで垂れ流す質の低い情報は無視して、筆者のような
プロが流す上質な情報を黙って聞いてろ。』と言っているような気がするのだが・・・。

言論の自由が保障されている日本で、日経新聞のコラムニストが、まさか本気でそんな
‘たわいもないこと’を主張するとは到底思えないし・・・。

恐らく宗教家でも信者でもない筆者が、多分一度だけ眼にした光景をまるで虚仮脅しのように
使っているのも、ある意味痛々しい。

そう言えば、ブロガーとコラムニストって結構被っているかも・・・。
プロのつまらないコラムを有料で読むくらいなら、もっとアジのある文書を無料で読める
ブログは絶対優位だし・・・。

ところで、過去1週間の電話取材の際、私は必ず相手に‘ブログってご存知ですよね’と尋ねた。
相手がテレビ局や新聞社や出版社の人間だから、‘ご存知ですよね’と使っていたのだが、
途中から‘ブログってご存知ですか’にチェンジした。
驚くべきことに全く知らない人もいたし、殆どは‘一応は知ってますが・・’のレヴェルだったからだ。

その昔、‘インターネットってよくわからん’と異口同音に叫んでいたオヤジ達と同じだ。


既存のマスコミは例えば、2ちゃんねるのある一面性を捉え、‘悪質な匿名掲示板’と呼ぶ。

どの業界も、既得権を侵す存在は脅威なのだろうが、既存のマスコミの倫理を含む低落振りは、
私のようなド素人によって、この1週間だけでも放送、新聞、出版の各分野で暴露された
ではないか。

♪おいらはブロガー、やくざなブロガー♪
♪おいらがおこれば嵐を呼ぶぜ♪



いやいや、これは単に、ゴロがよかったから替え歌にしただけで、
嵐を起こせるなんて思っていませんよ。


髭記者の読売が謝罪文、同時に新潮の捏造?記事に正式抗議~読売、新潮へ電話取材敢行~ (9)

遅きに失した感は否めないが、髭記者に関して読売側は本日の朝刊で、部長の談話という
形式で実質的には謝罪文を掲載した。


脱線事故会見巡る不適切発言でおわび…読売・大阪本社



読売新聞大阪本社は12日、尼崎脱線事故記者会見での同社記者の不適切な発言について、社会部長名で談話を出した。

          

 脱線事故をめぐるJR西日本幹部の記者会見で、読売新聞大阪本社の社会部記者に不穏当・不適切な発言があり、読者の読売新聞およびジャーナリズムに対する信頼を傷つけたことはまことに残念です。読者や関係者に不快感を与えたことに対し、深くおわびします。大阪本社は事実を確認した段階で、ただちに当該記者を厳重注意のうえ、既に会見取材から外すなどの措置を取っています。

 本社は日ごろから、日本新聞協会の新聞倫理綱領、読売新聞記者行動規範にのっとり、品格を重んじ、取材方法などが常に公正・妥当で、社会通念上是認される限度を超えないよう指導してきました。今回の事態を重く受け止め、記者倫理の一層の徹底を図ります。

 JR西日本の記者会見は記者クラブ員のほか、新聞、テレビ各社から常時100人から50人の記者が出席して事故発生の4月25日から連日開かれています。

 当該記者は、5月4日から5日未明の幹部の会見で、事故直後の対応や天王寺車掌区の社員がボウリング大会や懇親会を開いていた問題の説明を求め、「あんたら、もうええわ、社長を呼んで」などと声を荒らげたり、感情的発言をしたりしていました。

 JR側の説明が二転三転したため、会見は全体として詰問調になったようですが、当該記者の発言の一部は明らかに記者モラルを逸脱していました。

 この模様がテレビや週刊誌で報道されると、読者から叱責(しっせき)や苦情が寄せられました。使命感や熱心さのあまりとはいえ、常に心がけるべき冷静さを欠いたと言わざるを得ません。日ごろの指導が生かされなかったことに恥じ入るばかりです。

 脱線事故報道では今も、社会部などの記者70人前後が取材を分担、遺族らの声に耳を傾け、事故原因やその背景など、惨事の真相に迫る努力を続けています。引き続き全力で取材に取り組みます。

 大阪本社社会部長 谷 高志





一方で、私の5月11日付の日記に書いたように、今日は週刊新潮の記者が出社する日なので、
午後に新潮に電話をした。

先ずはあの記事を書いた記者との話。

オレ「あの記事はタイムリーでしたが、水曜日に読売大阪の方と話したところ、あの髭記者が読売の記者であることは認めたものの、幾つかの点では記事の内容に相違点があると仰ってましたよ。
ひとつは浅田農産の取材で先頭に立っていたとする点ですが、まあこれは私の印象ではニュアンスの違いだと思うんですが、例えば取材に加わっていたけど先頭には立ってないとか。
でも、もう一点は、彼は髭を剃ったとしていますが、実際は剃ってないそうですよ。これはかなり断定的な物言いでしたよ。髭を剃ったか、剃ってないかは極めて物理的にクリアーだと思うんですが・・・」
記者「大体何を言いたいかは判りましたが、活字媒体であるので、記事以上の事はお話できないんですよ。おまけに、あなたがブログで公開するというのであれば、○○という者(上席)と話をされた方が良いと思います。」
オレ「そうですか。でも上席の方は、‘部下を信じる’でおしまいじゃないでしょうか。
ところで、あなたは実際に、髭を剃った顔を見てはいないんですよね。」
記者「いやぁ、あれは現場の記者の報告に基づきデスクの私が記事にしたものです。」
オレ「でも記事の中で肝心な部分のソースは(在阪の新聞記者)となっていますから、この記者一人の証言で記事にしてたってことになりますかね。」
記者「いえ、ひとりではなく複数の人間に取材していると思いますが・・・。」
オレ「ああ、そうですか、わかりました。じゃあやっぱり剃ってたんですかね。」
記者「私はそう聞いていますし、そう書きました。」
オレ「あと、できればさっきの上席の方ともお話したいんですが。」
記者「わかりました、あとよろしかったらあなたのブログを・・・」
オレ「勿論、いいですよ・・・検索でひらがなで‘な・り・ぽ・ん’と入れてください。
恐らく一番にヒットすると思います。」



記者には上席にブリーフィングしてくれるよう依頼し一旦電話を切り、10分後に架けなおした。
やや重複する会話の後の返答を要約すると

上席「わたしは現場の記者なり、デスクを信用しております。責任をもって書いたんだと思います。読売さんになんか言われたならともかく、私は記者を信用します。」
オレ「ああ、確かに、そうですね。先ほどの記者の方には一応私のブログを紹介しましたが、結局、私の‘クレジット’はゼロですからね。そう言われたら、私はまるで立場がないですね。わかりました。ここで私ごとき人間と髭を剃った、剃らないの話をしても拉致があきませんね。では一応、こういう形で新潮さんとコンタクトをとったことはブログで記事にさせて頂きます。どうも有難うございました。」
上席「わたしの方も念のため確認をしてみます。どうも。」



予想はしていたものの、結局、通り一遍の回答に終始、
目ぼしい言質をとることは出来なかった。

でも、ナリポンはこれで終わりにしなかった。
ここで、もう一度読売大阪に電話してみたのだ。

代表電話に架けるも、前回と同じ読者センターに回される。

オレ「謝罪記事、遅すぎましたが出ましたね。ところで私は水曜日にも・・・
で、先ほど週刊新潮に電話しまして・・・・。」
読売「いやぁ、新潮の記事には3箇所事実と違うところがあったので、訂正をもとめています。

・‘いやあ、吊るし上げるにも体力がいるなあ’の発言
・浅田農産の事件では先頭に立って取材をしていました、としている点
・5月8日にヒゲを剃って会見場に復帰した、としている点

5月12日付けで新潮さんには文書で送付しています。」
オレ「えっ、そうなんですか。既に正式にアクションを取られているんですね。
浅田農産の件は、取材には参加していたが先頭には立っていなかったという意味ですか。」
読売「いや、一切取材活動をしていませんでした。」
オレ「そうなんですか、なるほど。ところでこの抗議の件は公にしていいんでしょうか。」
読売「あんた、どこの人。大阪版には小さな記事で出てますよ。」
オレ「ありゃ、そうなんですか。東というか・・・。
わかりました。どころでセンターの人って前回もそうなんですが、凄く印象が良いというか、あれっという質問に即答してくれますし、あなたは前回の人と声が違うと思うんですが、みんないい感じです。」
読売「ああ、ここにいる連中は年は50代後半、みんな現場やデスクを経験してきてるからな。今のデスクとかもみんな後輩だから色々聞けるし・・・。」
オレ「なるほど、だから練れてるんですね。ところで最後に野球はどこのファンですか・・・」
読売「まあ、大阪やからな」
オレ「わかりました。矢張り前回の人とは違います(笑)」



そこで、再び新潮へ電話。
記者と上席の名前をあげ、どちらかをお願いしたら上席が出てくれた。


オレ「今、読売に電話をしたら、正式に訂正を求めているとのことでした。
さっきの電話の時は、読売さんいってくるならまだしも、って仰っていましたよね。
浅田、髭のほかに吊るし上げのところだそうです。」
新潮「ああ、そうですか、いや全然聞いてません。明日当たり届くのかな。」
オレ「でも、大阪版では今日の朝刊に記事になっていたそうですよ。それくらいマスコミだったら情報が入るのでは・・・」
新潮「いや、全く聞いてません。しかし、おたくも随分熱心ですね。」
オレ「いやぁ、まあ出来るだけ正確に書きたいですし、さっきの電話のやりとりとは違ったイメージの記事になると思うので一応ご報告まで・・・、有難うございました。」




‘おたくも随分熱心ですね’

確かに・・・・(苦笑&自嘲)




1日のアクセス数が1万件を超えた~無職のナリポンの‘仕事’とは~ (3)

昨日のアクセス数は、ついに大台を超えて1万590件だった。
今日のアクセスも現在で9千件超。

これだけ多くのアクセスがどういう風に実現できているのか実感が湧かない。
一週間前までは、200件のアクセスがあれば良しだったのに・・・。
5千件のアクセスで戸惑いを禁じえなかった中、それさえ消化されないままの急増。
様々な書き込みの中には、口穢く罵るものも散見され、掲示板の中には詐欺紛いのHPへ
誘導するようなもの(削除済み)もあった。

今夜は珍しく、昔からの友人2人と飲みに出かけた。
彼らはブログを始めた頃からの数少ない優良な読者であるが、彼らにもある種の
戸惑いがあったようだ。
最近の謂わば‘ナリポンの成功’を喜びながらも、以前のようなマターリとした雰囲気が
喪失されることに何か違和感を抱いている感じだった。
ゆっくりと回される縄跳びに参加していた筈なのに、突然参加者が‘異常発生’し、縄跳びの
回転も追いつけないほど速くなってしまったせいだろうか。

中学以来ずっと私を知っている彼らは、何を書いてもそれらが‘ナリポン流’であることを
理解している。
『どっちもおまえなんだから、あっちでもこっちでもいいんじゃねぇ。
おまえが書きたいことを書けばいいんだよ。』

何があっちで、何がこっちなのかは暗黙の世界だが意図は通じた。

2次会に誘われたが
『わりぃ、俺まだ‘仕事’やっつけてないから・・・』

仕事とは当然、今日の日記をアップすること。
勿論、ナリポン一流の洒落で使った言葉だが・・・。

そういえば昨日は妻の誕生日だった。
ランチに何処か気の利いた横メシ屋にでも行こうと思っていたのだが、
例の新潮ネタを発見。
昼前に両者への電話は済ませていた。

『悪い、緊急の‘仕事’が入ってしまった。ロングランチは無理だからマジランチは金曜にしよう。
先ずは週刊新潮を買いにいくぞ。』

私のブログの読者ではない彼女も、生き生きとした表情での私の発言に
その‘仕事’が何を意味するかは、直ぐに理解できたようだ(笑)




「ヒゲの傲慢記者」の社名が判明~さっそく当該社へ電話突撃~ (24)

本日発売の週刊新潮が、時の人‘髭の罵倒記者’を取り上げている。
■「記者会見で罵声」を浴びせた「ヒゲの傲慢記者」の社名


2ちゃんのニュース速板によれば下記のような内容だそうだ。

記者は、読売新聞大阪本社、社会部記者のTさん、5年前に中途採用、近年、広島より大阪に異動。
広島では原爆問題などを中心にやり、最近では浅田農産の問題にも取り組んだ人のようです。
常にどこかに所属するような立場ではなく‘遊軍’と言われる大事件の時に本社から派遣されるという感じの人だそうです。
ちなみに、髭はこの前すでに剃ったそうですw

読売新聞では映像が流れてからの批判を考慮してJR西の会見から1日外したそうですが、その後すぐに復帰したようです。



私も現物を早速買いに走ったが、実は、恥ずかしながら私の地方では明日発売とのことOrz

まあ、2ちゃんの内容が正しいことを前提に行動開始。

先ずは、大阪読売に電話してみた。読者センターだ。


オレ「本日発売の週刊新潮の記事の中に、あのJR西日本で罵声を浴びせていた髭の記者が、貴社の記者だとあったが、本当でしょうか。」
読売「本当です」
オレ「ああ、そうなんですか。残念な話ですね。」
読売「はい、日頃から指導していたんですが。」
オレ「その後も記者活動をさせていたのはまずかったのでは」
読売「現在はしていません。」
オレ「ああ、そうなんですか。やはりあの態度は‘不適切’だったと会社としても思っていたんでしょうか。所謂謹慎中みたいなもんですか」
読売「そうですね。」
オレ「だったら、こうやって誰かに暴かれる前に、これこれの処分をして謹慎中ですとか、自ら発表すれば、社のイメージも随分変わったと思うんですが。」
読売「そうですね。」
オレ「まあ、でも彼のお陰で、今回のJR西に対するマスコミ、メディアのあり方に、これだけ多くの人間が興味を持ったかも知れませんね。
そういう意味では、彼はなかなか象徴的な存在でしたよ。」
読売「はあ」
オレ「ところで記事には、彼は‘遊軍’といういわばリベロみたいな存在とあったんですが、事実ですかね。すると、ある意味‘実力’はあったんでしょうね。」
読売「はい、そういう役回りでした。」
オレ「すると、大事件になると出動すると言う訳ですね。記事には浅田農産の鳥インフルエンザ事件も担当していたとありますが・・・」
読売「そのへんはちょっと違いますね。」
オレ「そうなんですか、てっきりあの調子で厳しい取材をしたのかと思いましたが。」
読売「それは、ちょっと感じが違います。」
オレ「いやぁ、しかし残念です、私も40年近くのジャイアンツファンですから・・・(←ウソ今は違うよ)ところで、読売大阪の人は阪神なんですか巨人なんですか。」
読売「私は巨人です。」
オレ「ああ、あと記事には記者が髭を剃ったとありましたが本当なんですか。」
読売「いえ、髭は剃ってませんよ。そこの所は調子に乗りすぎですね。」
オレ「えっ、そうなんですか。じゃあ、新潮の記事がガセってことになりますね。
へっー、それって私には結構重要なんですけど。巷では‘髭記者’で通ってましたからね。
謂わばひとつのアイデンティティだった訳ですよ、あの髭が。
それを剃ったとなると、彼が反省して頭を丸めるが如く、何か期するところがあったとでも解釈できるんですがね。
ああ、そうですか。髭は剃ってないんですね。」
読売「はい、剃ってません。」
オレ「キッパリですね。わかりますた。どうも有難う御座いました。」




私が極めてソフトに話をしたせいか、先方の対応も好印象だった。
飽く迄も私の印象だが、浅田農産の取材に関わったかどうかは、微妙。
例えば、援軍として少しは関わったが、本格的にはやっていなかったとか?
髭に関しては、剃ってないと実に自信たっぷりに言っていたから、剃ってない方が
正解かも。


そこで、今度は新潮社に電話してみた。

オレ「すみません、週刊新潮の記事についてなんですが・・・。」
新潮「はい、なんでしょう。」
オレ「あのう、髭記者に関しての記事なんですが、さっき読売新聞大阪に電話をかけたところ、先方も事実は認めました。ただ、髭は剃ってないとのことなんですが・・・。
すると、今度は週刊新潮さんの記事が捏造ってことになるんですが。髭を剃ったというのは事実なんでしょうかね。」
新潮「厳正な取材に基づいて記事は書いておりますので、事実だと思いますが。」
オレ「ああ、そうですか。でも先方はかなり自信ありげでしたよ。まあ取材時期とかの問題もありますが、彼がいくら髭が濃くても、数日であそこまで生えるのは難しいでしょ(笑)」
新潮「(笑)はい、そうですね。実は今日と明日は記者は休みなんですよ。」
オレ「あぁ、そうか。週刊誌の人達ってそういうサイクルで週を送ってるんだ。実は私はブログといって個人でこういう記事を載せたりしてるんですが、先ほどあなたが仰った内容、つまり‘取材をしているから事実だろう’という新潮さんの公式な見解でいいですか。」
新潮「少々お待ち下さい。(といいながら10分近く待たされる)やはり金曜日にならないと・・・。」
オレ「わかりました。ちょっと金曜日までは待てないので、取り敢えずさっきの感じでアップしておきます。別にあの記事は嘘だなんて書きませんが、読売大阪は否定しているとは書いておきます。金曜日前に例えば、爆睡中かもしれませんがその記者に連絡して、ブロガーとかいう変な奴からこんなこと言われているんだけど・・・なんてアクションを取る気はないですよね。」
新潮「少々お待ち下さい。(またまた10分くらい待たされる)やはり、直接確認したければ金曜日に連絡してください。」
オレ「はい、かしこまりました。まあ実際連絡するかどうかはわかりませんが、こんな電話があったとは一応お伝え下さい。」
新潮「わかりました。」




まあ、ひとことで言うと、今日はライトパーソンが居なかった。
都合20分、2度も待たされている間、誰と何を話していたかは不明だが、結論としては
‘危うきに近寄らず’のスタンスか・・・

午後になって、現役時代の私の右腕役だった女性ディーラーに電話で頼みFAXを入手。

内容は冒頭に載せた通りだ。

ただ締めくくりが‘ヒゲがなければ虚勢も張れないようだ。’となっている。
もし、ヒゲを剃っていないとすれば、まだ幾らでも虚勢を張れるということになるが・・・。


ところで、‘髭記者’と打つと‘悲劇者’と変換されるのはなんか意味があるのかな(笑)



ヤンキース今季初(エッ、マジ!)の3連勝~あと9勝でロッテに並ぶぞ~ (1)

昨日久々の連勝、今日も勝って3連勝、いつ以来かと思いきや、ありゃ、今季は初めてだった。

松井のヤンキース、イチローのマリナーズの対戦。
恐らく、日本一ヒネテル新聞のゲンダイ(だから個人的には好きなのだが)でも、
▼ 試合前松井がイチローに歩み寄りしばし談笑 ▼と書いていたが・・・。
ナリポン的にはダウト。
グッドガイ賞の松井をもってしても、ふたりの関係はギコチナイ・・・。

試合はジョンソンの時は、攻守に活躍する松井が先制タイムリー。
松井は1年目は、クレメンスの時よく打ったような記憶がある。
8回1点リードしてなお2アウト2塁で打って欲しかったが凡退。
結局4-1だったが、それでも打率はアップ・・・って寂しい話だが(笑)

イチローは公式戦初対決になるランディ・ジョンソン相手に2安打。

ヤンキース戦完全ライヴ観戦を生活の軸にしているナリポンは、その反動でマリナーズ戦を
殆ど観なくなっている。
今日、まじまじと観たが、イチローの安打製造ぶりは野球の次元では語れない感じだった。

最初の2塁内野安打はゴロゴロゴロ、まあ2塁手が下手といえば下手だが・・・。
2本目のレフト前ヒットは、わざと野手の前を狙ったような抑えた当たり。
最も印象的なのは、実は第4打席目のショートゴロ、打球は速くも遅くもなかったが、
ジーターの真正面。
それでも1塁に駆け込むイチローは結構際どいタイミング。

あんな経験をしたら、内野手は次、球が飛んできたら絶対に意識してしまいそうだ。

そう言えば、イチローの1年目、向こうのある新聞が
「イチローは卑怯だ、彼がバットにボールを当てた時、彼は既にホームと1塁の真ん中にいる。」
と書いていたような覚えがある。


イチローは強い当たりもあるが、何処か‘hit’というよりは‘shot’という打法。

野球というよりはビリヤードやゴルフのアプローチって感じだ。

テレビではヤンキースvsマリナーズ戦と同時にタンパベイvsホワイトソックスもやっていた。

松井、イチローに長谷川が控え、かたや野茂、井口、に高津が控える。
本当に日本人プレイヤーが‘普通化’している。

試合後のイチローのコメント

「ヤンキースとはお互い、弱いチームですからね。いい試合になると思っていたらその通りになりました。(負けて)もっと弱いチームになりました。ハハハ」


う~む、なかなか洒落たコメントだ。
でも、もし同じ台詞を新庄が吐いたら、笑ってしまうのに、イチローが言うとなんかな~~。

判で押したような松井の糞面白くない

「うん、インコースの甘い球でした。ラッキーでした。」

で感激してしまうナリポン。

とどのつまりは、好き嫌いってことか(笑)


朝ズバッ!みのもんた~それって問題発言だろ~ (4)

相変わらず、高水準を続けるアクセス数だが、その理由を2ちゃねるのせいにしていた私は、
どうやら単なる、2ちゃんを過信した世間知らずだったようだ。
昨日の日記のコメントにあったように、2ちゃん以外にも様々な人が、彼等のブログや
ホームページ、掲示板で私のあの日記を紹介しているようだ。
ASDICさんが言っている、大手ニュースサイトにリンク云々は残念ながら確認の仕方が
わからないが・・・。

何れにしても、トラックバックを含めブログの持つある種の‘身軽さ’がワークしている印象だ。

改めて実感したが、このマスコミの姿勢を論じたブログの数の多いこと。
単純な感情論もあれば、理路整然としたマスコミ論、シニカルな視点で見事に斬っているのも
見かけた。
そんな中、今回私の駄文が予想だにしない注目を集めたのは、やはりそれが
‘ドキュメンタリー’だったからだと思う。


ところで、その取材対象になったTBSの朝ズバッ!だが、また悶着を起こしたらしい。
私は明け方まで観たヤンキース戦、超久々の連勝を確認した後、甘い眠りの中にいたが・・・。

事故の後、JR西の運転士や車掌が殴られるとかの事件が頻発している件に関して、
「殴られても仕方がない、殴られたくなかったら喪章をつけろ」みたいな趣旨の発言をしたとの事。

先週にも同様な発言をしたとのの書き込みもあった・

今日の番組の後は、抗議の電話が鳴りっぱなしだったらしい。

そりゃあ、鳴るだろう。

みのもんたは独特のアドリブの才能はあるし、嫌いじゃない。
プロ野球珍プレイ・好プレイは原稿無しの映像を見ながらのアドリブ。
ミリンオンネアの引っ張りも悪くない。
あまり見たことは無いが、昼間オバサン相手にサディスティックに、健康法を説くのもいいだろう。

でも、このニュースショウともワイドショウとも言えない、番組にはミスキャストだと思う。


以前誰かが書いていた、この番組一日のギャラが一千万というのも冗談だと思ったが、
巷間では実しやかに語られているようだ。
その割に、視聴率は思うように伸びていない。

彼自身もスタッフも模索する中、次第に‘過激化’するしかないのか。
いい意味での‘毒舌’も単なるポイズンになってしまうのではないか。

ラーメン屋でスープが無くなりしだい店を閉めることによって、味のクオリティを維持している
名店がある。
一方で、人気が出たために、営業時間を延ばしたり、不用意に支店を出すことにより、
味の劣化を招き、売り物であった‘無化調’も怪しくなり、白い粉を混ぜるようになる。
従来の美味さを期待して食べたら、何時間経っても舌がヒリヒリして堪えられない。

そんな風景と似ている。




お茶も出しとらんのに、お客が止まらんとです~2ちゃんの力~ (4)

結局昨日のアクセス数は3,942件。
今日になって落ち着くかと思いきや、更に加速化している。
私がリンクを貼ったのは、マスコミ板の4つのスレッド、おまけにそれぞれに1回しか貼っていない。

で、2ちゃんをチェックして理由が判明。
私自身が貼ったのはそれだけだが、実際にあの日記を読んだ人達の何人かが本文の一部と
リンクを、ニュー速板とかテレビ板とかに貼っているのだ。
通称‘電突’と呼ばれる、電話突撃の一例としてして取り上げられている。
幸い、私がチェックした限りでは、否定的なレスはついていなかったが、もはや私の意志とは
全く別の存在として‘増殖’する様は、少し気味が悪い世界だ。

まあ、私のケースはおもちゃみたいなもんだろうが、歴史的にあった‘田代祭り’とか
‘川崎祭り’の迫力は想像を絶するものだったろうな、と感じた。

2ちゃんを詳らかにチェックしたお陰で、幾つかのネタも仕込めた。

先ずは、昨日の産経新聞。
‘罵倒記者’に関しての読者の声を取り上げ、報道姿勢にも疑問を投げかけている。


荒れるJR西会見場/取材陣にも厳しい目


「遺族の前で泣いたようなふりをして、心の中でべろ出しとるんやろ」
「あんたらみんなクビや」
四日深夜、ボウリング大会が発覚した後のJR西日本幹部の会見。
激しい言葉を次々と投げかけられ、この幹部はぐっと唇をかみ締め、
目を伏せたまま微動だにしない状態が続いた。
発言したのは、犠牲者の遺族ら事故に巻き込まれた関係者ではない。
会見に出席した一部の記者がぶつけたものだ。

こうした荒れた会見の様子をニュースやワイドショーで放送したテレビ局には、
視聴者から「遺族の代表にでもなったつもりなのか」などとマスコミ批判も寄せられた。
会見の場で質問する記者の多くは社名を名乗ることもなく、
時に怒声をあげてJR西側の回答をさえぎることも。
このため、マスコミ側に寄せられた苦情には「罵倒(ばとう)だけの会見は恥ずかしい限り」
「記者の会社名と名前を出すべきだ」といった意見も多かった。

ジャーナリストの鳥越俊太郎さんは「感情的な言葉はあまりに聞き苦しい。
自分もミスを犯すかもしれないということを忘れ、恫喝(どうかつ)的な姿勢になっている」。
音好宏・上智大助教授(メディア論)も、説明責任を果たしていないJR西日本が
社会的非難を受けるのは当然としたうえで、「歴史的事件の最前線にいる記者が
つい冷静さを失うのは分かるが、記者の感情の高ぶりに任せた質問が
逆に視聴者に違和感を覚えさせたのでは」と、記者側に自制を求める。
放送批評懇談会の志賀信夫理事長は「一番大切なのはなぜ事故が起きたのかという点だが、現状ではJR西日本のダメぶりをボウリング大会などの不祥事から誇張して騒ぎ立てている印象だ。事故原因や、職員と車掌は何をすべきだったのかなど、事の本質を客観的に報じることが求められている」と話す。

遺族や被害者の立場に立った報道は重要だ。しかし、客観性や冷静さを欠いた報道は、今回の事故の本質を見失わせる。そのことを肝に銘じながら、真実を追いかけていきたい。(JR脱線事故取材班)



これを読むと、2ちゃんねらーの電突のみならず、マスコミに対して批判的な声が数多く
あったことがわかる。
勿論、産経がこんな記事を書くのは、あの記者の所属する他社の足を引っ張る目的もあるという
見方もあるが、いち早くこのような自戒を込めた記事を掲載したことは素直に評価していいと思う。


そう言えば、あの‘髭の記者’を巡っては、メディア側がこれ以上の批判の対象にならないように、
放映を自粛することを決めた、という話もあったがソースが明らかではないので、真偽は不明だ。
もし本当であれば、逆に失笑ものだが・・・。
そんなもん、各社で判断しろよ、誘拐事件じゃあるまいし・・・。


痛快だったのは、これ↓そもそも福留大嫌いのナリポンには大受けだ。


正式な作法である紅白の水引を非難する無知の福留功男

女「非常に印象的な話がありましして、先ほどの一両目にいらっしゃった方
 JR西日本の社員がですねお詫びに自宅に訪れたそうです。
 で、お見舞金を置いていかれたと
 で、そのお見舞金がですね、紅白の水引がついた袋に入っていた
 非常に驚いたという風におっしゃっていました」
福留「どうゆうことでしょうね」
オヤジ「信じらんないね、そんなことね」

ーーーーーーーーーしばらくして、訂正モドキをいれるーーーーーーーーーー

女「先ほど事故の被害者のお見舞いに紅白の水引はどうかという
  内容の発言がありましたが、怪我をした方には無地が一般的ですが、
  紅白の結びきりも正式な作法のひとつだということです」
福留「ま、しかし、時と場合ということを考えてはね、どうなのかなと
  言う意見も言ったわけでして、決して間違いではないということなんですが。
  はい、天気予報いきましょ」




普段から、超慇懃で偉そうな福留君よ。
>ま、しかし、時と場合ということを考えてはね
はぁ?
だから、おまえさんを始め、局の人間が全員無知だったってことだろうよ。
間違ったら素直に謝罪しろよ。
(2ちゃんのマスコミ板にいって探すと動画もありますよ)

そうそう、そう言えば、私も昨日の日記で‘某国営放送’と書きましたが、
‘某公共放送’の間違いでした。
謝罪して訂正させていただきます。m(__)m


ところで、昨日4000件もアクセスがあって、アフィリエイトの対象になるクリックは
一体何件あったか?

たった、4件ですOrz 勿論売り上げはゼロ

そりゃあ、貼ったリンクはダイレクトに5月6日の日記だけど・・・
普段だって2,3件はありますぜ。
知的レベルは高いが経済的レベルは低い2ちゃんねらーにキャヴィアはそもそも縁遠いかも。

無論、私は自分の書いたものを真剣に読んで貰えるだけで幸せなんですけどね。
今回は2ちゃんでテーマに合致したところから飛んできてくれた、‘志の高い人w’だから
多分ちゃんと読んでくれた人が多いと思うんだけど・・・。
間違って、寺山修司の日記を読んでくれたとか・・・雰囲気ないですな。

もっと、ゆっくり遊んでいってくんなまし~~

今日の分も既に5千件だから、2日で9千件。
その割りには、書き込み率も低いなぁ。
やはり、文書に‘訴求力’が足りないのかな。




昨日の報道批判に対する反響~恐るべきアクセス数~ (8)

昨日の日記を書き終えてから、楽天広場内で同じ様な論点でマスコミの報道姿勢を論じている、
或いは、それに疑問を感じている記事を探してみた。
相当な数の記事が見つかった。
幾つか気に入ったものはTBさせてもらった。

その後、他社のブログの数個にもTBさせて頂いた。

自分がそういう立場だからそう感じてしまうのかも知れないが、マスコミの報道姿勢、内容に
問題ありとする人達は少なくない、否、かなりの人間が嫌悪感を抱いていることを実感していった。

少なくとも、あの怒声の記者会見の非生産性については多くの人間が感じている。
ボウリングだのゴルフだのの報道不要論も多い。
遺族を執拗につけまわす、或いは煽るような報道についても否定的だ。

つまり、私を含む極一部の人間がエキセントリックなのでは無く、寧ろメジャーなのかも知れない。
報道に携わっている人間、或いはそれに伴うしたり顔のコメンテイター共の方が、余程特異な
感覚の持ち主なのである。
マスコミが大衆に迎合する必要は無いが、大衆の感性すら読めないのでは情けないだろう。

さすがに、一部には自ら報道姿勢を正す意見も少数であるが見えてきた。
実は、マイナーではあるが、昨日の「日本全国8時です」(TBSラジオ)
森本毅郎、小沢遼子がJR会見のヤクザ記者を斬る、というのがあった。

今朝の日テレ系のWake Up!+の中でも、辛坊が言及し、自社の記者に意見を求めていたそうだ。

ある人の書き込みによれば


アメリカンジョークであったよね?
インタビューを受けた有名人が
「君もリポーターになる前は人間だったんだろ?」っていうやつ。



まあ、これは芸能レポーター、パパラッチ程度の奴等を揶揄した話しだろうが、笑うに笑えぬ
汎用性もあるような気がする。


ところで、話題がタイムリーだったせいか、今日の昼過ぎには、アクセス数が600件を超え、
それまで自己最多だった(宮里藍のANZレディースの実況)を超えた。

そこで、ちょっとした出来心というか、実験をしてみたい誘惑に駆られ私は在る事をしてしまった。

その‘昼下がりの事情‘とは・・・

2ちゃんねるのマスコミ板の関連スレ4個に、昨日の日記のリンクを貼ってしまったのだ。
おまけに、キャッチーな紹介をしてだ。

ボウリングの後の居酒屋での宴会の領収書を、「独自に入手した証拠」として
TBS朝ズバッ!が報道。

その実態を直接店とTBSに電話で問い質した一部始終。



それを機に、アクセス数は画期的に増加した。
「ニュー速+」ではなく、マスコミ板はそれほどの影響が無いと踏んだ私の見込み違いだった。
というか、矢張りこの話題は思いっきり‘旬’なのだろう。

コメントもそれらしい人達のモノが出現した。
みのもんたのギャラが一千万?

fenさんの、M氏を40分も‘拘束’したのはイクナイと言う意見もあった。
敢えて、自己弁護すると最終的に電話を切ろうとしたのは私の方だということ。
勿論、こんなスポンサーでもない一個人をよく相手してくれたとは思う。
>M氏は40分くらい電話で付き合ってくれた
の「くれた」はそういう意味を込めたつもりだ。

ただ一方で、何処かで記者がJRを虐めるのに似た感覚があったのも否定できないけどね。

2チャンネラーが格付けでどこに位置するかは、「朝まで生テレビ」でもテーマになれそうだが(笑)
私も、書き込みは滅多にしないが情報蒐集には使わせてもらっている。

心臓疾患の私が言うのもなんだが、大マスコミが完全に‘動脈硬化’を起こしているのに、
2ちゃんは数多くの毛細血管が結集している感じだ。
だから清濁織り交ぜて、木目細かい情報が飛び交う。

昨日M氏が、私が居酒屋の実名を何故知りえたか怪訝な様子だったが、私は彼が
マスコミに身を置きながら、そんな情報が簡単に飛び交う現実を知らないのに、寧ろ驚愕した。

それにしても、その2ちゃんパワーをもってしても、例の‘髭の記者’が特定できてないようだが・・・
特定できたら、思いっきり叩きまくるんだろうな、恐い、恐い。

私の電話を架けるという行動力を賞賛してくれる方々がいらっしゃるが、これは謙遜する訳でなく
たいしたことではない。

そもそもそういう‘揚げ足取り大好き’DNAがてんこ盛りなだけ・・・。

でも、こういう行動を起こす原動力は決して‘正義感’等といったものではなく、
‘憤怒’を原点とする方がより力強いような気がする。


それにしても、衰えぬアクセス数・・・3,500件
いやぁ、なんかマジで恐くなってきた、いやぁホントに。

あ、そうそう、これだけアクセスが集中すると、50件しか表示されないアクセスログもろくに
見られないが、偶々見た限りでは、大手新聞社3社、某国営テレビからのアクセスがあった。




《追記》
5月6日の日記にコメントを書いてくれたみなさまへ

通常は、1対1のレスを入れることを信条としておりますが、今回はなんせこんな感じなので
5月7日の日記をみなさんへのレスという事で、勘弁しておくれ。







マスコミの‘暴走’に倣って、ブロガーも暴発~JR脱線事故~ (23)

JR西日本の風土が問題になっているが、一方で記者たちの‘暴走’も止まらない。
4月28日マスコミ人の傲慢~あの記者だってオーバーラン~でも書いたが、いったいマスコミとは
何様なのか。

夕方から行われた、記者会見、JR側は幹部が出席していたが、社長の姿はなかった。
話が、ボウリング大会の話に及び、幹部が返答に窮すると、

「とんでもない会社や」
「舐めてんのか」
「ちゃんと仕事してるんか」
「「覚えてないことはないだろう」
「社長だせや」



私が関西弁に不慣れなせいかも知れないが、この‘語気’には知性も品性も無い。

結局、「社長出せ」コールに応じる形で日が替わってから、社長が登場。
主役登場でさらにヒートアップ。

「あー、もう泣くのはいいから」
「あんたらは107人、殺したんやぞ」
「どの面下げて、遺族に会ったんや」



社長を引っ張り出したのはいいが、本質に触れるような質問は無く、
記者たちが勝手に罵詈雑言を浴びせてお仕舞いである。
これだと社長はマスコミ対策に忙殺され、被害者対策、安全対策に裂く時間も作れないだろう。

悪いのは、JR西日本である。
ただ、‘徹底的な悪人仕立て’に奔走するだけのマスコミの姿勢は如何なものか。
前にも書いたが、妻は遺族の報道になるとチャンネルを替える。
それは遺族が鬱陶しいのではなく、遺族に付きまとうマスコミ、妙に美談を作り、無理矢理
悲しみを増幅させるような無遠慮なマスコミに辟易としているからだと思う。

TBS系列、「朝ズバッ!」ではボウリング大会の後、一次会で使った居酒屋のシーンがあった。
鳴り物入りで始まった新番組だが、そこで、件のみのもんたは、独自に入手した重要な証拠が
あるとし、居酒屋の領収書が映し出された。
料理8品、飲み放題の3,500円、16:30まで飲んで10万8,486円。

はぁ?
これって報道する価値があるのか。
他局や新聞もこぞって、3500円の飲み放題だったことを報道していた。

だが、自称‘独自’に入手した領収書を大写しで報道したのはTBSだけだった。

この領収書って、どうやって入手したんだろ?
素朴な疑問が頭をよぎった。

で、色々と調べてその居酒屋が何処かを突き止め、実際に電話してみた。(←なんて暇なんだろう

電話にでた店の人間(どのポジションかは不明)に、「あの領収書は店が見せたのか」と尋ねた
「放映しないことを条件に見せたのに放映されて困っている。報道各局に訂正(?)と謝罪を要求している」との返事。

訂正の意味は不明だけど、困っているのは事実らしい。
店側も脇が甘かったのかも知れない。

そこで、TBSに電話をしてみた。(←おいおい、ほんとに暇すぎ

何故ここまで行動したか、自分なりに分析すると、矢張りあの怒鳴り散らす報道の姿勢に
かなりの憤りを感じていたからだろう。
その憤りの中で、ターゲットとしてTBSが‘代表’に選ばれた形になった。

朝ズバッ!の担当者が出るも、朝の放送は知らないので担当ディレクターから折り返し
電話をさせるとの返答。
私は、あの‘領収書の映像’は店側の許可を得たものか、店側は報道されて迷惑だと言っていた、と告げ電話を待った。

1時間後にM氏から電話が架かってきた。
先ず、番組で放送した事実を確認、その際、みのもんたが独占入手である旨を
言っていた事も確認。

オレ「3,500円のコースとか領収書を晒すことの報道意義は?別に公金で飲んだ訳でもないし、事故の本質とは無縁だと思うが・・・」

M氏「領収書によって、実際に宴会があったこと、コースの値段によって凡その人数の裏が取れる」

オレ「なるほど、それはある種、メイク・センスですね。ところで、あの居酒屋に実際に電話をしたが、店はあの報道で営業上困っているので報道各局に抗議していると言っていたが、放映の許可は店から取ったのか」

M氏「取材した担当者から、許可は取ってあると確認している」

オレ「自分の部下を信頼するのは、あるいはしたいのは分かるが、取材に長けた記者がマスコミ対応素人の人間相手に上手くやったと可能性もあるのでは」

M氏「それは互いの理解が違う可能性もある」

オレ「店は迷惑していると言っていたが・・・」

M氏「それは報道された後で、そう感じているのかも知れない。実際、今後報道しないようにとの申し入れがあったことも聞いている」

オレ「なんだ、やっぱり店からあったんだ」

M氏「あなたはいったい何がしたいのか。店と局の問題だが・・・」

オレ「私は一介の微力なブロガーです。まあ、あなた方マスコミが第4の権力なのにブロガーは第5の権力なんて言う人もいますがね。私が言いたかったのは、‘独自に入手’とするために店の迷惑も考慮しないのは、JR西の利益優先とちっとも変わらないってことです。」

M氏「だからあなたは何をしたいのか、そもそも店の実名は報道してないが」

オレ「ああやって、店内を映し出したら、分かる人には分かるでしょう。テレビチャンピオンって知ってますよね、居酒屋オタがいたら秒殺でしょ。誰かが分かればそんな情報あっという間ですよ、今の時代の伝播力は。
私がやっていることは、今回の事故で被害者の‘代弁’をする意気込みでJR西日本を‘糾弾’しているあなた方マスコミと構図的には同じですね。規模は全く違うけど・・・。
で、この一件はブログに書かせてもらいますから・・・あなたの実名だしていいですか」

M氏「どこのブログですか、実名?我々はあなたの名前を出していない」

オレ「そりゃ、私の名前を報道する状況にはないですよね。ブログですか、そんな気にする事ありませんよ。ここでの会話に反する事は絶対書きませんから。」

M氏「そりゃ、取材姿勢として失礼でしょ。我々はいつもTBSと名乗って取材している。」

オレ「まあ、いいじゃないですか、こうして私の電話番号と名前は確認できてるんですから・・・。実名は止めときます。長い時間有難うございました。」



実際、M氏は40分くらい電話で付き合ってくれた。

電話で自説を展開している時は(勿論飽く迄も声も冷静にだが)、あの罵声を浴びせている
記者連中と似たような、‘ええ気持ち’だったが・・・。

今、こうして文に纏めていると、一気に白けてしまった。

あの大阪の記者たちも怒鳴ったあとに、こんな虚しさを感じたりしないのかね。
それとも、どっかで飲みながら今後の更なる‘作戦’を練っているだろうか。


鳥インフルエンザ騒動の際、厳しい取材、或いは糾弾まがいの異常な取材攻勢に屈したのか、
会長夫妻が自殺を遂げてから、まだ一年ちょっとしか経っていない。
あの時と同じ記者が、今また今回の事故を取材をしているのだろうか。



さらば ハイセイコー~寺山修司と名馬の在る符合~ (2)

寺山修司の競馬エッセイを再び読みたくなって、引越しで開けていなかった段ボールの箱を
物色した。
6個ある箱の1個目で見事発見。

やっぱりいいなぁ。

巻頭に「さらば  ハイセイコー」と言う詩があった。


さらば ハイセイコー




ふりむくと
一人の少年工が立っている
彼はハイセイコーが勝つたび
うれしくて
カレーライスを三杯も食べた


ふりむくと
一人の失業者が立っている
彼はハイセイコーの馬券の配当で
病気の妻に
手鏡を買ってやった


ふりむくと
一人の足の悪い車椅子の少女がいる
彼女はテレビのハイセイコーを見て
走ることの美しさを知った


ふりむくと
一人の酒場の女が立っている
彼女は五月二十七日のダービーの夜に
男に捨てられた


ふりむくと
一人の親不孝な運転手が立っている
彼はハイセイコーの配当で
おふくろをハワイへ
連れていってやると言いながら
とうとう約束を果たすことができなかった


ふりむくと
一人の人妻が立っている
彼女は夫にかくれて
ハイセイコーの馬券を買ったことが
立った一度の不貞なのだった


ふりむくと
一人のピアニストが立っている
彼はハイセイコーの生まれた三月六日に
自動車事故にあって
目がみえなくなった


ふりむくと
一人の出前持ちが立っている
彼は生まれて始めてもらった月給で
ハイセイコーの写真を撮るために
カメラを買った


ふりむくと
大都会の師走の風の中に
まだ一度も新聞に名前の出たことのない
百万人のファンが立っている
人生の大レースに
自分の出番を待っている彼らの
一番うしろから
せめて手を振って
別れのあいさつを送ってやろう
ハイセイコーよ
おまえのいなくなった広い師走の競馬場に
希望だけが取り残されて
風に吹かれているのだ



ふりむくと
一人の馬手が立っている
彼は馬小屋のワラを片付けながら
昔 世話したハイセイコーのことを
思い出している


ふりむくと
一人の非行少年が立っている
彼は少年院の檻の中で
ハイセイコーの強かった日のことを
みんなに話してやっている


ふりむくと
一人の四回戦ボーイが立っている
彼は一番強い馬は
ハイセイコーだと信じ
サンドバックにその写真を貼って
たたきつづけた


ふりむくと
一人のミス・トルコが立っている
彼女はハイセイコーの馬券の配当金で
新しいハンドバックを買って
ハイセイコーとネームを入れた


ふりむくと
一人の老人が立っている
彼はハイセイコーの馬券を買ってはずれ
やけ酒を飲んで
終電車の中で眠ってしまった


ふりむくと
一人の受験生が立っている
彼はハイセイコーから
挫折のない人生はないと
教えられた


ふりむくと
一人の騎手が立っている
かつてハイセイコーとともにレースに出走し
敗れて暗い日曜日の夜を
家族と口もきかずに過ごした


ふりむくと
一人の新聞売り子が立っている
彼の机のひき出しには
ハイセイコーのはずれ馬券が
今も入っている



もう誰も振り向く者はないだろう
うしろには暗い馬小屋があるだけで
そこにハイセイコーは
もういないのだから



ふりむくな
ふりむくな
後ろには夢がない
ハイセイコーがいなくなっても
全てのレースが終わるわけじゃない
人生という名の競馬場には
次のレースをまちかまえている百万頭の
名もないハイセイコーの群れが
朝焼けの中で
追い切りをしている地響きが聞こえてくる



思い切ることにしよう
ハイセイコーは
ただ数枚の馬券にすぎなかった
ハイセイコーは
ただひとレースの思い出にすぎなかった
ハイセイコーは
ただ三年間の連続ドラマにすぎなかった
ハイセイコーはむなしかったある日々の
代償にすぎなかったのだと



だが忘れようとしても
眼を閉じると
あの日のレースが見えてくる
耳をふさぐと
あの日の喝采の音が
聞こえてくるのだ





この場末というか歌舞伎町というか、そんな情景の中での人間模様がいい。
安っぽい歌謡曲のようでもあるが、読めばやはりこころに響くエレジーがいい。
‘ふりむくな、ふりむくな、後ろには夢がない’と言ってもふりむいてしまう寺山がいい。

‘人生という名の競馬場には、次のレースをまちかまえている
百万頭の名もないハイセイコーの群れが’
これを読んだ人々が、自分の‘未勝利の人生’を諦めずに、ささやかな勇気を持てるのがいい。

ハイセイコーを愛した寺山修司がこの世を去った時に、ハイセイコーも
「さらば寺山」と思っただろうか。(←思うわけねぇーだろ

寺山修司が逝った、まさに17年後の2000年5月4日、ハイセイコーが大往生する。
そう、寺山と同じ命日をまるで知っているかのようにだ。
或いは、あの世で孤独な寺山が一流の演出で手招きをしたのかも知れない。
この偶然に、この因縁に、この符合にドラマツルギーを感じてしまう。


寺山修司没後22年~魔術師の言葉は‘死語’にならない (2)

今日5月4日は、寺山修司の命日だ。亡くなったのは1983年の今日。
また今年は、寺山生誕70周年にあたり、様々な追悼の企画があるらしい。

彼の才能をいかすジャンルは多伎にわたった。
俳人・歌人・詩人・小説家・作詞家・演劇家・脚本家・映画監督・競馬評論家・・・
本人は自分で 「職業:寺山修司」と言っていた。
なんともわかりやすいし、この一言で広大な寺山ワールドが想像できる。

詩人を夢み、映研に所属していた私には正に‘必修科目’のような存在だった。
演劇はジャンルとして興味が無かったのでパスしたが、他はひと通り代表的な作品には
手を出した。

映画は、私の‘観解力’の無さか感受性の欠乏のせいか、余り好きではなかった。
短歌や俳句は好きだった。

でも、一番気に入って、実際に読み漁ったのは競馬エッセイだった。
まあ、要するに最も簡単に理解しやすかったものということだ。

実在する競走馬と架空の人物が絡んで、レースという現実をひとつの人生劇場に仕立て
上げるのだ。
スシ屋の政、トルコの桃ちゃん、バーテンの万田らのレギュラーキャラの他に、都度、何かの特徴を
持つキャラを登場させ、それを実際のレースに出走するある馬のキャラとオーバーラップさせるのだ。
聾唖者の彼女がいる男が、声の出ない馬の馬券を買い続けるとか、デブな男が馬体重610キロの
馬の馬券を買うとか・・・

ハルウララとういう連戦連敗の馬が去年ブームになったが、寺山は様々なタイプの‘ハルウララ’を
創造していたのだ。

寺山の口癖だった。

‘ファンは馬券の名を借りて自分を買うのである’

寺山は吉永正人という騎手が好きだった。
いつも一頭だけ他の馬群からポツンと離れていた。
かたや大逃げ、かたや4コーナー最後方からの直線一気。
その極端な騎乗方法が失敗し、「へたくそ」と罵声を浴びることも多かったが、吉永はこのやり方を
頑なに続けた。
寺山もその‘孤独な戦法’に固執する吉永を愛していた。

その吉永が騎乗するミスターシービーが皐月賞を制するのが、1983年4月18日だ。
なんとその日、寺山は中山競馬場に姿を現している。
翌19日から体調が悪化し、その後意識不明のまま5月4日に逝ったのだ。

皐月賞での雄姿を目にすることはできたが、同馬がその後5月にはダービーを勝ち、11月には
菊花賞も制し、シンザン以来19年振りの三冠馬に輝くのは知らない。

「きっと天国から見ていたに違い」等という陳腐な気休めを言えば、寺山の怒りを買いそうだ。


寺山なら口を少し尖らせてこんな感じかもね(笑)

「ボクは皐月賞であの馬の勝ちっぷり、吉永の乗り方を自分の目で確かめた時に三冠になるの
はわかったんだ。それがわかったから、もうボクの蝕まれた肉体は無理はしない。男っていうのは、
簡単にさよならを言えるんだ」


こっちの言葉は本当に寺山の言葉で記念館の碑に彫られているそうだ。

―百年たったら帰っておいで、百年たてばその意味わかる―

こんなこと言われても、ナリポンの余命は・・・


モデム過労死~恐怖症から依存症へ~

昨夜というか正確には、今日の午前1時ごろサーバーエラーになってネットが出来なくなった。
3台あるパソコンで試すも全滅。
で、超久しぶりにダイヤル・アップでフリープロバイダーを使ってみた。
懐かしいモデム音が響き、接続は成功した。

すると、犯人はナリポン本来の通信環境であるケーブルに違いない。
幸いにも昨年の4月から24時間電話サポート体制になっている。
早速電話すると、障害は起きてないし、他からの報告も無いという。
で、話している内に、結局モデムのステータスランプから判断して、モデムそのものが逝って
しまったらしいとの結論。
確かに、これだけ常時接続されているモデムも中々ないかも知れない。
マスプロ製モデム、享年1歳9ヶ月、死因:過労。

「交換しに伺います」の声に「できるだけ早くお願いします。仕事上でも困るので・・・」
‘仕事上’は当然ながら大嘘(ワルイ奴)だが、相手になるべく速やかに来てもらうための方便。

で、ヤンキースの試合も朝からだし、そのまま寝れば済むはずなのに何となく落ち着かない。
ネットができない事でなんか苛立つのだ。
どうしても、緊急に必要なことなんて無いのにだ。
メールだって、送信者が‘北京餃子’なのを誰か個人の女の子と間違えてしまうほど(笑)
個人的なものは少なく、ショップや懸賞がらみ、その他メルマガなのにだ。

寝たきりではないが、基本的にはベッドの上で一日を過ごす事が日常化し数年に及ぶ。
その間にすっかり‘パソコン依存症’になってしまった。

長いディーラー人生の癖で、常に情報ベンダーが目の前にあることが沁みついていた。
月何十万もするベンダーの替わりに、インターネットのおかげでほぼ無料で情報が手に入る。
おまけにこうやって地方に身を置いていても、なんらハンディキャップにはならない。

加えて、今年から始めたこのブログが依存症の度合いを確実に‘深刻’なものにした。
アクセスの伸びや、新しい書き込みをチェックしたい誘惑に駆られる。
それが出来ないだけで何か‘一大事’なのだ。

半日遅れようが、一日遅れようが、なんらフェイタルではないことが、致命的な事に感じて
しまうのだ。

新しいモデムは朝の8時過ぎに届いた。
同じメーカーのひとつ新しい型番で見た目もクール、手際よく交換してくれた。

接続を確認し、速度チェックをする。
ベスト・エフォトで20Mだがあっさりと18M出た。

その瞬間、途轍もない安堵感が走った。
まるで、呼吸困難の中、酸素ボンベを与えられた感じ。

作業報告書にサインを求められた時、主客逆転して丁重にお礼を言う私に、担当者は面食らった
様子だった。

思えば、6、7年前は、寧ろパソコンがらみの作業はすべて会社の女の子に任せる
‘パソコン恐怖症’のオヤジだったのが、変われば変わるもんだ。



中山雅史Jリーグ150ゴールを達成~ダントツ・ゴン~ (6)

ナリポンは別にサッカーオタクではない。
国際試合は異様に熱くなって観戦するが、国内戦は観ていてもそれほど興奮はしない。

実際に、国立に足を運んだのも1998年のゼロックススーパーカップ
(ジュビロ磐田vs鹿島アントラーズ)1回だけである。

そんな中、ナリポンを確実に熱くしてくれる選手がいる、ゴン・中山こと中山雅史だ。

そもそも記録に残るタイプより、記憶に残るタイプが好きなナリポンだが、ゴンは記録も確実に
残しつつある。
5月1日のPKによるゴールで、Jリーグ通算150ゴールを記録した。


リーグ戦通算得点ランキング  2005/05/01現在
Jリーグ ディビジョン1

    選手名   所属(J最終所属)      得点
 1 中山 雅史  ジュビロ磐田.        150
 2 三浦 知良  ヴィッセル神戸      136
 3 城 彰二  横浜FC.            95
 4 武田 修宏  東京ヴェルディ1969.    94
 4 藤田 俊哉  ジュビロ磐田          94
 6 福田 正博  浦和レッズ.           91
 7 長谷川 祥之  鹿島アントラーズ    89
 8 久保 竜彦  横浜F・マリノス..      87
 9 森島 寛晃  セレッソ大阪         86
10 澤登 正朗  清水エスパルス.        85


中山、三浦の1967年生まれの両雄がダントツだ。
現役当時も存在感が薄く、早々に引退、最近ではジャンクスポーツでしか見ない城、
歴代ナンバーワンの遊び人Jリーガー武田が3,4位を占めているが大差がついている。

ゴンはギネスブックにも載っている。
4試合の連続ハット・トリックは知っている人も多いだろうが、実はもうひとつのギネスを持っている。
国際試合で、最短時間でのハット・トリックの記録である。なんと試合開始後3分15秒だそうだ。

しかし、何故ゴンが好きか。
それは、あの全身から発するゴールへの執着だ。

いたずらに精神論だけを強調する人間は好きではない。
中畑と川藤が解説の巨人―阪神戦なんか最悪、すべてを‘気合’と‘気持ちの込め方’で
解決しようとしている(笑)

はじめてゴンに感動したのは、ドーハでのWカップ予選のイラン戦。
2点リードされ、残り時間が殆ど無い。
敵陣に攻め込むも、ボールはゴールラインを割る寸前、そこにゴンが滑り込みボールを止め、
角度の全然ないところからシュート、これがなんとゴールイン。
その後がまたいい。
ゴールに喜ぶでもなく、ゴール内のボールを掴み、センターサークルへ突っ走る。
残り時間が1分も無い中で、こいつは諦めていない。
素直に心が熱くなった。

そして、例の悲劇のイラク戦である。
1-1の同点から、後半勝ち越しのゴールをするのがゴン。
その後、武田と交代、敢えて言うが、その武田が終了直前、不用意なパスミスをして、
敵がコーナーキックを得る。
ショートコーナーからヘッディング・シュートが、なんとまさかの同点ゴール。
その瞬間、ゴンは頭を抱え、倒れ込んだ。
得点後、17秒で試合終了のホイッスルが吹かれる。

日本中が目を覆い、選手を励ますオフト監督の姿に涙を堪えた。

フランスワールドカップ、初出場の日本が3試合であげた得点は1点だけだ。
その日本人として初めてのゴールもゴンである。
おまけに、いかにもゴンらしいゴールだったのがいい。
手以外の身体の部位ならどこでも使う、泥臭さいっぱいのゴールだった。

本人は、自分の子供が自分のプレイを理解できるまで現役を続けたいと希望しているそうだ。
怪我に悩まされているが、頑張って欲しい。

その実現性はともかく、ドイツワールドカップメンバーも諦めていないらしい。
実際の日本代表メンバーも、戦術論、技術論を超越したゴン中山のスピリッツを踏襲し、
先ずはドイツへの扉を確実に開けて貰いたいものだ。


それにしても、カズをキングと呼び、ゴンを隊長♪と呼ぶ感覚は鋭い。

あ、そうそう、ゴンのニックネームの由来は‘鬼瓦権造’だそうだ。
ビートたけしがひょうきん族で扮していたキャラだ。



《追記》
あちゃー、無知ぶりを晒してしまいました。
Lefty2005さんに指摘されましたが、城は横浜FC(J2)で、まだ現役でした。




プロフィール

makola

Author:makola
ペンをパンにかえることを夢見た青年は、電話を手にした相場師に・・・
在る時、相場師20年のストレスで心筋梗塞を発症、死の淵をさ迷う。
以来穢土を離れ厭離庵に棲む。

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