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鍵のついた日記帳

中学の頃、鍵の付いた日記帳を欲しいと思ったことがある。
ドライバーでも使えば、一瞬にして壊す事が可能なチャチな鍵だったが妙に憧れた。
鍵付きの日記帳を使えば、鍵をかけてしまわなけらば不安になってしまう程の芳しい秘密が、
たくさん出来るかもと夢想したのかもしれない。
でも当時の僕には値の張る代物で結局は手に入れることは無かった。

結局日記帳代わりにはやや体裁のよいノートを使っていた。
日記とはいえ、別に毎日記す訳でもなく、何か思いついた時や相応の事実があった時だけ埋めた。
必ずタイトルをつけていたので、裏表紙には『題あり~のダイアリー』と洒落ていた。

親や他人に読まれて殊更困る程の華麗なる秘密は無かったが、好きな異性はイニシャル表示し、
ノートも唯一施錠できる引き出しに大事に格納していた。

高校に進むと日記を書く頻度は格段に増した。
先ずは恋愛・・・
登場人物はそこそこいるが、所詮勇気の無さが否応無くプラトニック・ラブに追いやる。
プラトニックであればあるほど、言葉への依存度は高い。
次に映画・・・
映画研究会に所属してた強みを活かし、市内の映画館はほぼ顔パスか招待券で入れた。
年間100本近い映画を鑑賞し、その感想を日記に書いていた。

受験勉強が主たるテーマの生活の中で、日記を書くこと、書くべきイベントを実行することが楽しみだった。
逆説的に言えば、日記にこんなことを書けたら素敵に違いないということが、
ひとつの大きなモチベーションとなって人生をしていたのかも知れない。



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最強の生餃子 (2)

穢土に棲んでいた頃、日常的に口にしていながら、当地では中々手に入らない食べ物がある。
代替品のベストを探そうと努力するが、やはり深く記憶の中に刻まれたそれらには及ばない。
楽天を初めとする通販にもトライするが、やはり満足できない。

そういう状況の中で、『直訴』するという手段を思いつき、これが幾つか成功した。
その中でも、出色は「生餃子」である。

先ずは、我が家が購入していたスーパーに電話をした。
するとスーパーの本部の担当者を紹介してくれた。
その担当者に電話、スーパーとしては通販はやっていないが
餃子メーカーのコンタクトパーソンを紹介してくれることになった。
早速、その人間に電話をした。
しかし、工場では飽くまでも生産だけしかしておらず、個人への直販はしていないとの回答。

むむぅ、折角ここまで辿りついたのに・・・なんとも陳腐な結末。
そこで、私はその餃子の美味さについて相手に滔々と説明しはじめた。
「是非お願いします」ではなく、餃子の作り手相手にまるで私が餃子の作り手であるが如く、
薀蓄を語ったのである。
同社の餃子の別種類については、やや否定的な意見すら披露した。

この作戦が意表をついたのか、私の分析がそれなりに的を射たものであったのか、
担当者は「わかりました、少しお時間を下さい。追って連絡します。」と言ってくれた。

そして数時間後、「個人で商売をやられている方で、発送してくださる方を紹介しますので
そちらにご注文下さい。」
ばんざ~い \(^。^)/
それからふたりでやや暫くの餃子談義。
私が美味いといった方は、皮が手作りで、あんまりといった方は機械作りとのこと。
中の餡は全く同じ(私はそう思ってなかったが)だそうだ。
それが丁度去年の2月。
最初は10パックだったのが、お裾分けした友人からの反響が大きく最近は50パック。

人に貰ったお義理の「おいしかったです」ではなく、「マジうま」「まい~う」の腹の底からの声。
「次回はお金を払うから(当たり前だ)是非うちの分も」の輪が広がった。
というか流れにまかせると拡大しすぎる懸念があるので火消しにかかった程だ。

それくらいヒット率は高い生餃子だ。。

その業者をここで紹介していいものか判らないのでやめておくが、、
穢土近辺に住んでる人はスーパー等で購入できるので試してみる価値があると思う。

丸上食品
・ジャンボ餃子(5個入、250~300円)
ふつうのサイズの奴もありますが、ジャンボ餃子の方がお奨め。
取り扱い店は不詳。
我が家が購入していたのは、コモディ・イイダという中堅スーパー



時間の進行をロックしても・・・

家庭用コピー機を使った、偽札事件が頻発している。
我が家のプリンターもスキャナー、コピー機能もある所謂複合機。
お札をどうこうしたことはないが、初めてスキャナーを使った時は正直
はしゃいでしまった。

20~30年前の色褪せた写真や、ペンをパンにする修行として学生時代に
スキー雑誌や情報誌の記者のバイトとして書いた印刷物が見事に蘇生する。
デジタルのお陰でこれから先は劣化することなく保存されるだろう。
時間の進行をロックしてしまうことができる。

唯一にして最大の問題は保存されたそれらの物に興味を示し、必要としているのは
実は自分以外には存在しないことだけだ。

な~んてね、そんなの当たり前だよね。
昔行ったコンサートチケットの半券みたいなものかも知れない。
本人にしかヴァリューは無くて当然かも。




呼吸困難に陥った海老沢

実は昨年の8月からNHKの受信料を払っていない。
時期的には支払い拒否の先陣をきった形になった。

気づいた担当者が家を訪ねてきたが、
「空気を読めない人間がトップがいるのによい放送ができるとは思えない」と伝えたら、
その意味を解したかどうかは別にしてあっさりと
「わかりました」と引き下がった。
自分としては、空気airと放送on airを引っ掛けて悦に入っていたが、集金人にその洒落が
通じたとは思えない。

それから2,3ヵ月後、夕食時にNHKを名乗る人間から電話があった。
私の不祥事及びそれに関しての最高責任者の態度云々・・・を聞いた彼は
「その点は重々承知しておりますが・・・」と言った。
「重々承知していたらこのような電話を架けるという発想にはならないと思うのですが・・・」
という私の言葉に彼は言葉を失った。
「それはそうですが・・・」と捻り出したが、その言葉の無意味さを自身で理解した彼は
そこで電話を切った。
その後の報道で、NHKは管理職を動員して不払い者の説得にあたらせたようだ。

そして、今回の海老沢の辞任。
今宵限りと思わせたが、一夜にして可愛い子分たちは別のポジションを用意していたという出来レース。

他のマスコミは退職金を含め、この顧問復帰を激しく非難した。
自分も信条としては全くその通りなのだが、何れ訪れるであろうNHKの集金人を一撃するには、
あのまま顧問に居座るのが簡便だったとの計算もあった。

そして、最終的には辞任した3人は顧問要請を固辞した。

さすがに連中も顧問就任報道後の反応の凄さに驚き空気を読んだと言われているが、
それは違うだろ。

最後まで空気を読むことができなかった海老沢はそれでも生きていけると踏んでいた。
だが、空気を読む読まないの問題以前に空気中の酸素量は数%しか残ってなく、
呼吸困難に陥っただけなのである。

因みに英語でgive him the air というと彼を解雇するという意味です。


殺人は足の爪を切るようなもの

スペイン語は解らないのに8年間もスペインの企業に居たせいか、音としては違和感が無い。
田舎に引っ込んでそんな音を耳にする機会も無くなった。
で、ふと衝動に駆られてスペインの映画を観た。

KIKAという映画だ。
その中の台詞に
<殺人は足の爪を切るようなもの。切るまでは難しいが、切ってしまえばこんなものかと思える。
そして爪はまた伸びる>
というのがあった。

一瞬ある種の文学的な表現として響いたが、やはり糞くらえだ。



古びた冬衣


古びた冬衣


果てしなきものの果てを求めるが如きに
理由なきものの理由を探るは
愚行とは言い難し

古びたる冬衣を捨てるが如きに
愛人を棄てるは
春来の気配に踊り狂う男の錯誤なり

詩人が狂気と隣あわすが如くに
愛人を失いし男も
崩れし夢の跡に一人居り

結べぬ絆を結びし男の哀しみは
結べぬ絆を結べぬ男に勝れり



松嶋菜々子>>>>>>>>>>>>>>竹内結子

竹内のような没個性で如何にもNHKの朝のイメージの女優は好きではない。
と言いながら、実は、星に願いを、黄泉がえり、いま会い全部観ている。
でも観れば観るほどあの慇懃さが鼻もちならない。
妙に鼻の穴だけが目立つ。
でも世の中では広く支持されているのも承知していたが、偶然見つけたゲンダイの記事。
そして視聴率と言う数字の裏づけ。
あぁ自分だけじゃないんだなと思った。

松嶋は昔は演技がなぁと思っていたが、『美女か野獣』がど真ん中のストライク。
そもそもあのかすれた声というか、命令調のしゃべりが好き。
その昔、石立鉄男と絡んでた大原麗子のしゃべりと似ている。
限りなく大胆に飛躍させると、オードリー・ヘップバーンのしゃべりにも似ている。

と言いながら、実はその松嶋よりも、江口洋介の存在感が好きだ。
昔はチョンマゲ・ヘアーでバイクを転がしているイメージだったが、
その後は確実に成長している。
独特の温かみのある表情は、ある種松井秀喜のそれとも似ているような気がする。

初めてのトラックバックに挑んでみたくてこんなお題にしてみた。

竹内結子 好感度No.1女優の存在感の薄さ(日刊ゲンダイ)
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__951706/detail



『加齢』なる一族

SCENT OF A WOMANのアル・パチーノが演じる全盲の退役軍人。
その彼がタンゴを踊るシーンがしびれます。
小説家を見つけたらFINDING FORRESTERのショーン・コネリーもイイ。
老作家役なのだが、言葉を発しているシーンより自転車に乗ってる後姿がなんとも素敵だ。

この二人を観ていて年を重ねる美学を味わった。


言葉の足し算

敵も然る者+去る者日々に疎し=敵もさるもの日々に鬱陶しい


靴屋の心象風景

靴屋に行って新しい靴を試す。
そこには、今まで履いていた靴が中身を失って、ある種戸惑いながら
或いはある種解放感を感じながら、存在する。
さっきまで中身をやっていた私の目には、その存在が突然に非常に無様に映る。
その感情が確実に新しい靴を欲する行動に私を追いやる。

更に一刻も早く新しい靴の中身になりたくて、店員に
「これ履いていきます。」なんて言ってしまう。
その無様さに同じく気づいた店員がダメを押す。
「こちらはどうなさいますか。」

「処分してください。」



我が家の贅沢~本わさび~

もう20年以上になると思うが、我が家の冷蔵庫には必ずコップに入った本わさびがある。
私の食への興味を覚醒させてくれた人物が異様な程、本わさフェチだった影響だ。
シンガポール時代、日本では考えられない安い値段でマレーシア産の伊勢えびの刺身を出す店を発見した。
但し、わさびは100%の粉わさび。
そこで、大丸デパートで仕入れた本わさびと鮫皮のおろしを隠し持って通うようになった。
以来、自宅でも本わさびを常備。
別に、いつも刺身を食べるのではなく板わさや長芋を食べるのにも本わさびを使うと味が引き立つ。

何かと規制の厳しいシンガポールで自由にわさびを手にすることができたのもラッキーだった。
因みに、アメリカでは規制されており(現在は可)マンハッタンの高い寿司バーでも100%本わさびの店は少なかった。

日本に帰ってきた当時は、デパ地下に行って一本千円。
決して安くはなかったが意地で続けた。
その後は、近所のスーパーでも手に入るようになり値段も500円を切るようになった。
それでも、周囲の人間からは贅沢だと言われるが、一本あると結構長持ちする。
水の入ったコップにいれて冷蔵庫に置いておくと2週間位平気だ。

実は今日の昼、シンガポールの伊勢えび以来初めて、本わさびを隠し持って蕎麦屋に
行った。
去年の秋に新蕎麦を食して気に入って通っていたが、残念ながらわさびが完全なる粉。
穢土時代はまっとうな蕎麦屋は必ず本わさびだったし、
店によっては自分で金おろしでする店も平気であった。
しかし、地方だと事情も違う。
1軒穢土の水準を満たす店があって、基本的にはそこを愛用していたが昨秋以来、
今日の店の蕎麦の方が段々と気に入ってきた。

でーーーーー、終に今日『犯行』に至った訳。
死角になる場所を選んだが、ツーンと独特の香気が・・・。
いやあ、美味かった。
やはり本わさびで美味さを増した。
ちょっとした犯罪を犯している意識も更なる『かくし味』になっていたのかもしれない。

まあ、現行犯で捕まるまで再犯を続けそうだ。



『胃の中の蛙(カワズ)』

はじめてカエルを食べたのは、シンガポールの屋台だったと思う。
料理をされる前の姿をみると、やはりゲッ!と思ったが、
から揚げで供されたそれは上質の鶏肉にも勝る味で、次々とボクの胃袋に収まっていった。
そうか、こう言う状況・心境を
『胃の中の蛙(カワズ)』と言うのか?

失礼いたしました・・・。


新米

毎秋、その年の新米を最初に口にしたとき、
必ずや存在する先入観を考慮しても、やはり美味いと感じる。
米の世界では明らかに価値を持つ『新米』なのに、
組織や社会では『あいつは新米だから・・・』と、途端に価値が下がってしまう。

新米の美味さの有り難味もこの時期になるとやや色褪せる。
口が慣れるのか、新米がそのフレッシュネスを失うのか。


目から鱗

人間の場合は目から鱗が落ちると言うが、同じような状況はきっと魚にだって有る筈で
そういう場合はなんて表現しているのだろう。
魚にとって鱗が落ちたら大変だし、そもそも『魚の目』というのも気に懸かる。
ひょっとしたらイボコロリかもしれない。


もやしっ子

人間の場合は「もやしッ子」等と言うが、
おなじような状態のもやしはきっともやしの中にも有る筈で、
そういうもやしはなんて呼ばれているのだろう。
そもそも、もやしの世界でのもやしっ子は上級なのか下級なのかも解らない。
強火でサット炒めると結構美味しくて、
『こちとら、シャキシャキのもやしっ子でぇい』と言われそうな気がする。


納豆菌で禁納豆 (2)

服用している薬の中にワーファリンというのがある。
これは血液を固まりにくくする薬で、逆に言えばいったん出血すると中々止まらない。
はみがきをするだけで血が出たりする。
でも個人的にやっかいなのはこの薬を飲んでいると、納豆を食べてはいけないことだ。

納豆菌に含まれるビタミンkが薬の効果を殺すからだ。
納豆そのものは血液をサラサラにするしいろんな意味で健康食な筈だが、
このワーファリンとはバッティングする。

食べちゃいけないと言われると食べたくなるという単純な心理もある。
勿論適正な薬を服用することは自分の健康の為の死活問題だが、
禁納豆は自分の食生活上も死活問題だ。
納豆とご飯、大好きだった。
仕事や遊びで海外に出た場合、帰国後最初に口にしたくなるのが納豆とご飯。
納豆は断然ご飯で食すのが良い。
加熱した納豆は大嫌い。

薬の研究、開発が幾ら盛んでも、海外では納豆マニアなど居ない訳だし、
そもそもデリケートな薬だけに、納豆可の代替薬が開発される可能性は薄い。

健康だった頃から、仲間とよく語り合った。
「死ぬ前に食べたい最後の晩餐は?」
今の自分なら迷わず、「納豆ご飯」を選ぶだろう。


スクランブルド・ブレイン

屁理屈も理屈で有り得る
と言う命題の真偽を考えるとき
不美人も美人で有り得る
と言う極私的には絶対に偽の命題を考える
自分はここで
『不』という言葉の悲劇性と
『屁』と言う言葉の偉大さを
感じ
思わず震えてしまう



一行日記

人生UNTIEで人生安泰?


尾崎放哉となりぽん

尾崎放哉が病気で伏せている時に創った俳句に

~せきをしてもひとり~

と言う、超字足らずがあります。

静寂感の中に寂寥感もあり結構気に入っていたのですが・・・。

独り暮しの頃、風邪でダウンしていたボクも同じような心境になっていた。
(それなりに詩的な世界)

そんなボクが、咳ではなく、クシャミをした瞬間、なんとケツからもブ―ッ!

文学的な雰囲気は一瞬にして、実に生物学的な空(臭)気に破壊されたので
ありました。

それでも、めげないナリポンは

~屁をしてもひとり~

と気取っていました。


主食は薬

風邪に耐え切れず、近所の内科医を訪ねた。
心臓疾患のために服用中の薬品の一覧表を持参し医者に見せた。
医者は一言「循環器は薬が多いよねぇ、これじゃ薬を飲むというより喰っている感じだな」
確かに、一日食後3回、就寝前、都合23粒(袋)の薬を口にする。
年間で約8,400。

ダメを押すように風邪用の薬が11粒加わった。
一日34個。
薬を飲む事自体に苦痛は一切無いが、これだけの薬が体内で間違いなくワークするのか
疑心暗鬼になってしまう。

カレーのスパイスなら数が増えた分だけ、味に深みが出てくる可能性もあるが
薬の場合それぞれが妙な自己主張をして殺しあうのでは無いかと危惧する。



つらい

昨夜から高熱、頭痛、悪寒に悩まされ、頭が中空を舞っています。
一病息災って訳にはいかない。
う~ん、久々にマジにつらい。


こんな時代もあった

20歳になったら
故里に何も望んではならぬ
雪道で転んではならぬ
いくらきれいに見える雪でも
笑いながら口に含んだりしてはならぬ
もう19歳じゃないのだから
女性に全てを望んではならぬ
甘い不実な言葉を吐いてはならぬ
どんなに美しく見える女性でも
押し隠して愛など口にしてはならぬ


↑これは自分が成人した時に書いたもの
妙に硬直しているなぁ。



誰か有名な人の言葉でしょうか・・・

奴隷は、奴隷の境遇に慣れ過ぎると、驚いた事に
自分の足を繋いでいる鎖の自慢をお互いに始める。
どっちの鎖が光ってて重そうで高価か、などと。
そして鎖に繋がれていない自由人を嘲笑さえする。
だが奴隷達を繋いでいるのは実は同じたった1本の鎖に過ぎない。
そして奴隷はどこまでも奴隷に過ぎない。


逆説的幸福論

今の世のなか失業者にとって喜ぶべきは、
彼等こそは、『いつ失業者になるかわからない』
という不安から解放されていることだ。

健康ではなく、死の跫音を十分に意識できる人間が
人生の『後書き』を時間をかけて予め書ける
幸せに似ているか?



小津の魔法使い

最近嵌ったのが、小津安二郎の映画で
立て続けに6本観た。

タイトルに使われる文字に多いのが『春』『秋』『東京』『家』かな。

代表作であり遺作でもある『秋刀魚の味』を観た日の夕食は当然のように秋刀魚の塩焼きを食らおうと妻に頼んでいたが、
映画に秋刀魚が出てくるシーンなんか全くありゃしない。

その後、北鎌倉の円覚寺にある彼の墓にはただ一文字『無』と刻まれていると知り、
妙に納得したりした。

生 1903年12月12日
没 1963年12月12日

生まれた日と、亡くなった日が同じ。
しかも還暦。

人生のPART 2を自ら望まなかったのだろうか。


WILL

男のこころは
意志未来で
女のこころは
単純未来

なんて好き放題言ってた自分が
大病を食らって気付く
WILLの意味にあった『遺言』



しんしんと・・・

雪国といっても沿岸部の積雪はたいしたことはない。
でも雪国でなければ、実感できない言葉がある。
「しんしん」だ。
漢字で「深深」とか「沈沈」とも書くらしいが断然ひらがながいい。
夜が更けていく様にも用いるが、実感は弱い。
冬の夜、窓越しに或いは窓を開けて、降り積もる雪を感じるのが好きだ。
音がするようなしないような、朝になると水墨画が完成している。

わたしの代わりに雪かきをしなければならない妻には気の毒だが・・・。



『心配』停止

短くなった、細いロウソクの炎が消えないようにするのは難しい。
砂時計の場合も、間断無く落ちる砂粒を止めることはできないし、もうこんなに
残り少なくなったらひっくり返すこともできない。
でも、自分が持っている『上』と『下』の概念を逆さにすることはできる。
初めは違和感があったが、慣れてくると案外居心地が良い。

典型的なA型超ストレス過多人間が
心肺停止の危機に瀕した後からは、『心配』停止型人間に変わりつつある。
まるで台風の目の真中にいるように、楽な心持ちだ。
台風一過のような爽やかな快晴に出会うことがないのが玉に瑕だが・・・。


見学者

子供の頃、体育の授業で
『見学』してたことなんて記憶にないけど
今の自分は人生を『見学』しているみたいで・・・。
体育座りはしてないけど、
何かの壁にもたれている。
体育は時間割通りで長くても2時間だけど
ボクの人生はこれから先、どう長いのか、
どう短いのか、全く判らない。
なんて、文書を書いているけど、本当は
見学者であることを十分に楽しんでいる。



プロフィール

makola

Author:makola
ペンをパンにかえることを夢見た青年は、電話を手にした相場師に・・・
在る時、相場師20年のストレスで心筋梗塞を発症、死の淵をさ迷う。
以来穢土を離れ厭離庵に棲む。

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